交換日記の思い出

久しぶりに小学生だった頃のことを思い出した。

交換日記をして怒られたこと。

当時交換日記をしただけでなぜ怒られるのか、
全く理解できなかった。そして理解できぬままこの年齢になってしまったので、ここに書き残そうと思う。

私が交換日記をはじめたのは、小学校6年生だっただろうか。当時仲の良かった女の子と2人でしていた。

彼女とは他愛のない話ばかりしていたが、とても楽しかった記憶がある。

楽しかったこと、面白かったこと、勉強しろと口酸っぱく言われて嫌になってしまうこと、志望校への不安と希望…などなど、今思えばノスタルジーに駆られる内容ばかりだ。

交換日記をはじめたのは、お互いに中学受験をするべく塾生活で忙しくなってきていた時だった。

お互い塾と勉強を中心に世界が回り(実際は勉強漬けでもない気がするが当時の私にはそう思えていた)放課後に遊ぶことが許されないため、
学校の昼休みだけでは話したいことを話しきることは困難だった。

この問題を解決してくれたのが交換日記だった。
交換日記を使えば、お互いに自由にトークテーマを投げ合いながらノートに綴ることが出来た。それは一時の遊びとして、受験生である私たちの良い息抜きにもなった。

しかしである。
ある日、教室の自分の机に交換日記をしまっていたことを同クラスの男子に知られ、中身を読まれてしまったのだ。

もちろん、他愛ない話ばかりで知られて困るような内容はなかった。
お互いに「好きな人」を書いていたことを除いては。

後日、交換日記を見られたということが私たちの耳に入った。
自分たちの好きな人がリークされたことへの恥ずかしさと勝手に見られたことへの怒りから、
先生に呼び止められるほどの騒ぎになってしまった。

当時、騒ぎを起こしたことは反省した。
しかし私物を勝手に見た男子を怒るのではなく、交換日記をしていただけで私たちが怒られたことには納得がいかなかった。

交換日記は名前ばかりが先歩きしている気がする。

先生は交換日記に良くないことが書かれていると思って怒っていたのだろう。たしかに勉強へのネガティブなことは書いたが、嫌いな人や悪口などそんなものは一言も書いていないのだ。

交換日記という名前の、お喋り文字起こしノートに過ぎなかった。

私たちにとってはとても大切なノートだった。
他愛ない内容とはいえ、お互い境遇が似ていたからこそ打ち明けられる悩みや励ましも書かれていた。

大人からの勝手な子供への期待と、効率的に人生を生きるために送っている日常を逃れるための、息抜きと安らぎのノートだった。

そのノートを理不尽にもまた大人に禁止されたのは悔いが残る。

確かに人の悪口や非難を書いていたりすれば禁止されて当然である。そんなことは小学生の誰でもわかる。

しかし小学生だって小学生なりの悩みがある。
大人には相談できないからするのだ。

子供だって考えられるし行動することはできる。自力で問題を乗り越えることで成長できることも多いだろう。

大人の正義を子供に強制することで子供の自由や成長を奪うことになることもあるのだ。

そのことを忘れてはならない気がして書き留めておく。





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