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最近のこと

久々の投稿になってしまった。年末から年始にかけて色々なことが一気に起こり過ぎて、文章をゆっくりと書く時間もなかった。

今これを書いている私は相変わらず調子が優れないし、正直全く元気ではないのだけれど、文章を書くことで自分の感情を整理することが今の自分に必要なことだと思うので、ここに戻ってきた。普段から私は自分の話をすることがそんなに得意ではない。相手もつまらないだろうなとか、大した話でもないよなとか、無駄な妄想とマイナスな感情が人間関係を邪魔してくる面倒な人間です。本当に。
だけど何故か文章には自分の感情を上手く乗せることが出来て、それを発信することが嫌いではない。だから今日は、私のありのままの感情と言葉で、ここ最近の自分について書いていこうと思う。

私が離人症であるということは、ここまでの投稿にある通りだ。現在でもそれは継続していて、どんなに天気の日でも晴れない霧の中を歩き始めて2年半が経つ。毎日、欠けた感覚を取り戻そうともがいて悲しんで泣いて時に諦めて共存を目指して。そんなことを繰り返しながら生きている。離人症が理由で自死した人が、過去に沢山いるんじゃないかと思うことがある。他人に伝わらない感覚の恐怖、他人からの認識と自分の認識のギャップ、楽しいこと嬉しいこと、そんなプラスの出来事ですら自分の身に起きていると感じることのできない疎外感、この感覚のまま漠然と続いていく将来への不安。私も然りだ。健常だった時の自分をよく知っているから、尚のこと辛いのだ。心動かされた経験も、今となっては思い出すことのできない感覚になってしまったことが悲しい。やめて欲しい。これ以上私の人生の邪魔をしないで欲しい。何度も繰り返しそう思う。普通の人が羨ましい。皆どうして、色んなことをちゃんと感じられるの?どうしてそんなに楽しそうなの?
こんなこと考えたって何の解決策にもならない。

こんなふうにして、きっかけ次第で心は簡単に壊れてしまうものだと思う。それは、私だけじゃなくて。

年末、母の様子がおかしくなった。
精神科を受診して、現在入院している。意思疎通も取れない状態から1ヶ月半、少しずつ緩やかにではあるが回復している。これは私の勝手な予想だが、家庭でのストレスが積み重なったのだと思う。憶測のまま因果関係を作ることは良くないと思うが、そのストレスの一因に私も少なからずなっているはずなのだ。離人症との生活のなかで、私は母に強く当たることが多かった。自分自身の性格を恨み、価値観を恨み、それを幼少期から植え付けた(そう思い込んで)母を恨んだ。そうやって他人のせいにしているうちが楽で、だけどその分、母もまた1人の人間であることを忘れていた。鋭利な言葉を振り回して、そんな自分のことが私はとても嫌いで、だけど他に逃げ道もなかった。そういう言い訳。

自身の調子がすぐれないにも関わらず、母からは毎日のように公衆電話がかかってくる。私や妹、家のこと、そして必ず口にする「離人感は?」という言葉。
ごめんねお母さん。まだ治ってくれないよ。

母の病に薬があると聞いた時、本当に安心した。研究されている病気だし、認知度も高い。薬漬けにはならない治療なことは前提として、それでも薬があるのと無いのとでは違う。ただ、回復に至るまでは様々な壁がある。再発防止も兼ねて、色んなことと向き合っていかなくてはならない。母のそばに自分がいること、それが母にとって生きやすい事であるのか今は正直自信がない。これ以上一緒に過ごしていては、もっと傷つける気がして怖い。近い将来、自ら大きく環境を変える必要があるかもしれないとも思う。自分のためにも、その方が良いのかもしれない。

私は4月から、社会人になる。
こんなアンバランスな状況で社会に出ていくことは凄く不安だ。ただ、就職先が介護会社であるということ、働きやすさを重視して自身が見て決めた場所であるということが救いだ。他者の物語をすぐ側で感じ、生と隣り合わせの場所で働きながら私は、これからどう変化していくのだろうか。マイナスに転がるのか、一転してプラスに転がるのか、わからない。
ただ一つ思うのは、自分に自信をつけたいということ。傲慢な人間にはなりたくないけれど、自分で自分を大切に出来るくらい、どこか一つでも自分の要素を愛せるような人間になりたい。離人感の中、母への不安の中、それでも進んでいかなくてはならない。私にそんな活力が残っているかの自信もないが…暗い文章になるだろうと思い立って書いたこの記事を、明るく締めくくりたいと思うくらいの力はまだ残っているようだ。

学生生活、残り1ヶ月半。
また気が向いた時に戻ってきます。

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