見出し画像

ああ愛しの君よ

なんだかんだとっても「愛情深い私」と気づいたジェニーです

愛というか情か


困っている人、弱っている人、動物たちを、虫たちをほっとけない人がいて

命あるものを、自分の命の限りにお世話をしてしまう人がいて

時に自分よりも周りに時間もお金もエネルギーも使う人がいて

私はそんな人の身体を心配しながらも、気持ちが分かるから、ありがたいなって思うのです


でもって、そんな人って大抵判断も曖昧で、物だらけで、古くなっても捨てられないんじゃ無いかと


だから、まあ私もそこは分かるわけで


つまり、そこなんですよ


断捨離だー!っつっても
なんやかんや好きで買ったもの、集めた物だから捨てられない
なんだか見捨てるような気持ちでいたたまれない
「ありがとう」より「ごめん」って気持ちで苦渋の決断でゴミに葬るのも辛くなってくる

もう、地獄です

身を引きちぎる思いで片付けをしているから、続かない
家は片付かないのに、心と身体は疲弊していく

だから中途半端でやめてしまう

すると、そんな自分をどこかで「何も達成できないやつ」って責めている
事実、そう思うからか、現実がそうだからか、
とにかく、仕事でも恋愛でも習い事でも達成できないことを紐付けて

「やっぱり」
「ほらね」

って、「だから叶わないんだよ」って納得させたりして


〜現実はどこまでも自分の思いに忠実〜


過去とか、トラウマとか、環境とか容姿とか学歴とかなーんも関係ないっっっっ

って分かったから、それはまるで自作自演のお笑いだし

いじけ貧乏って、自分でそうしているんだと分かる

いくら愛情深くても、自分はこの程度と思っていたり、自分は助けてもらえない、とか、私がなんとかしないとって、ある種の強迫観念からくる過剰なお世話もあるかも知れない


というのも、私がそうだから

人間より動物が好きで、自分のために生きられなくて、動物のために生きようって思って

ただでさえ、人間が壊した自然環境の中で、一番困っているのは野生動物たちで、虫たちで、植物たちで

今となってはその考え方も偏っていると分かるけれど

でも、食料がなくて町に来るしか無くなった野生動物を害獣って言う人間がまた嫌いで

私に家があったら、お金があったら、山に木を植えて、動物たちが食べられる植物を植えて、在来種を増やして、怪我した動物を保護して治療して、自然に戻したり、野生に返れなくなったら近くで最後まで見守り、自分のできる範囲の生態系を保つ環境づくりをして生きたい!


そう思うこともあったし、救えない命に心が痛すぎて、死にたくなることもあった


・・・


結局、一番自分を活かせていない

死んだように毎日を生きていたから、大好きな動物たちはせめて幸せに過ごしてほしい・・・

そう切望しながらも動けない、何も続かない、何も生み出せていない

今やれることがなんなのか

ちょっと動いただけで疲れるのに何ができるのか

言い訳ばかりで外にも出られないのにどうしたらいいのか

誰に聞いても分からない
誰も気持ちを理解しない
自分が自分を縛り付けているのか・・・

暗いし重い


人生は、社会は、世界は夢も希望もない真っ暗闇


そんな頭の中で片付けってできないのは当たり前で

無理矢理に断捨離したところで、大事なものが分からないから後悔するものが多々あって当たり前で


でも、どんなに今の自分を肯定しても、気持ちが明るくなっても、夢も希望もあっても、潜在意識や、思考や、根底からひっくり返せたと思っていても

自分の中には宇宙があって、掘れば掘るほどゴミが出てくる


なんでもオッケーって思っていると、捨てなくてもいっかってなるし
心地良さを一番にって思っていると、捨てるか残すか、悩むのすらヤーメタってなるし
楽観的に、まーそのうち片付くでしょって思っていると、雑然としたままで


物を、物質的な、目に見えるものとの対峙は、どこまでも自分との対峙で

全ての物事の原理原則で、自分の内面が外側の世界に溢れているだけで


つまり


今の自分に

「合っているか・合っていないか」


ここが、ポイントなんだと気づけました!!!

パチパチパチ☆


そう、まるで冷えきった恋人関係とも似ていると思ったわけですよ


ましてや、好みの変わらない私は、絶対的に好きなものがあって、一ミリの違和感も感じない、私のコレクションにいてほしいアイテム

そこに対しての自信すらある


だけれども、それはそれ、これはこれとして

もし

今の私は以前よりヴァージョンアップしているし、もっと格上のものが手に入るとしたら・・・


あの時代の自分も大好きで、間違いなくイカしてて、最高にクールで、ホットで輝いていた

しかも、楽しかった思い出とか、モテていたとか、良い記憶も重なったとしたらどうだろう

ますますその時の自分と、身につけていたお気に入りのアイテムにワクワクして、今もなおときめくものであるかのようになっているのかも


自分で自分を騙す巧妙なトリック


ついでに私は古き良きものが大好きで、あの何年経っても色褪せない、いやむしろ色は褪せてもデザイン性、存在感、質感、作り手の情熱や技術はいつまでも鮮明に感じられる

私はヴィンテージは、同じものを二度探すのがどれだけ大変か分かっている

ましてや自分のこだわるものが世界に少ないことも知っている

そんなこんなでますます執着するのかも知れない


そして、本当はそこすら、その思い込みや、自分のアイデンティティーと思えるものすら捨ててみてもいいのかも知れない


今の自分に、100%満足していて、何も変えたくない、この環境で、この生活で、このアイテムたち、この人間関係で、全部このままで居たいなら、自分の所有物も思い出も脳内もキープしたままでも問題ないのかもだけれど


私は今、本来の自分になろうとしている

今の今の私を、自分を活かして輝いているとは決して思えない

確かに、存在価値はあって、可能性も、能力も、才能も、運も、なんでも持っている、なんでもある

そう思っていても


モヤモヤしている

イライラしている

クヨクヨしている


だって

自分に合っていないから


そう、自分に合っていない

生活も、アイテムも、人間関係も、仕事も、活動も、お金も、健康も、何もかも


猫と暮らせているくらいかな

あとは、総取っ替えしてもいい!!

となると、やはり所有物は、何もかも合っていないことになる


合っていないというか、レベルの低い、過去の私に合っていることになる

今(未来)の本気の私、まだ見た事のない私になろうとしているんだから、どんな服着ているのか、何を好んでいるのか、どんな食器で、どんなリネンで、どんなスタイルで、どんなヘアメイクで、どんなタイムスケジュールで、どんな人たちと、どんな会話して、どんな歌を歌って、どんなことにときめいて、どんなものを食べているのか

過去の私には予想もつかなかったかも知れない

もしくはスルーしていたのかも知れない

今の想像を遥かに超える、最高の最良の最上の自分なのかも知れない!


とにかく、空っぽにしていいってこと


好きだから捨てられなくても、何年も使っていて愛着あっても、それ以上のものがないかもって思っても、きっと大丈夫

今までの中で一番だってだけだから

未来を見越して、取っておきたくても、物によっては手放せる


大好きすぎて、私にはこの人しかいないって思って、何十年も過ごしてますます確信を持ってくると、離れるとか考えることすらない

だって、普通にときめくから、今も変わらず

それでも、よくよく関係性を見つめてみる

本当はもっとこうしてほしい、とか、もっと優しくしてほしいとか、もっと一緒に出かけたいとか、新しいことに挑戦したいとか

でもなんとなく察して、なんとなく妥協して、なんとなく自分を納得させて、ぬるい平和と愛情に満足したつもりになってるってことあるんじゃないか?


本当に離れてみて、本当に気づくこともある


そうか、これは一般的ではないやり方だろう

なんとなく幸せで、結構じゃないかって

結婚して安泰だって思っていいじゃないかって

子供もいるんだし、とりあえず夫婦でいればいいじゃないって


私にはそれができない


何歳だろうが、どんな状況だろうが、どんな関係だろうが、うやむやなものが幸せって思えない
誤魔化して、好きなフリとか、妥協して付き合うとか、子供のために仮面夫婦とか、できない
それをやるのが大人だよって言われても、じゃあ私は子供でいい

子供を悲しませたいわけじゃない
パートナーを傷つけたいわけじゃない
誰かに迷惑もかけたくない

けれども、一番に自分の気持ちが大事

だから、最初っから契約としての結婚って方がしっくりくるのかも知れない


情があるから、人は別れない、ものも増えていく


人間て、変なの


でも、そこが良いところかも知れない
ミニマリストってそう考えたら、人間ぽくないのかも
思考はどこまでもミニマリズムで、それは無駄がないとも言えるけれど、人間の楽しさって無駄なところにあったりもするわけで
人生の道草が楽しかったりするし、学びだったり、経験だったり、出会いだったり、チャンスだったり、酸いも甘いも苦いもが、その人の味になったりするわけで


ま、なんでも良いけれど
大変化の時こそ大捨てのチャンス

好きなもの食べて、病んだら断食して一掃して、また回復する
シンプルにそういう構造なんだと思う


最近また腸内環境が良くないから、排泄しながら、お腹のお花を増やして整えていこうと思う


そう、

合っているか、合っていないか

頭で分からなくても、片付けで分からなくても、身体が教えてくれている


はて、私のお腹が元気だった時ってあるのか・・・?




と言うわけで、長くなりましたが、最後までお付き合いくださったあなた、
ありがとう!!!


ではまた♪


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?