見出し画像

「社会人」という称号に、甘えることは簡単なお話

社会人になって、8か月を迎えようとしている。

自立して「社会人」という称号を与えられた期待と、高いモチベーションを我ながらひしひし感じていた4月。

そこから8か月…良くも悪くも日々学びだ。

最近、私はふと「社会人になってから〇〇だな」「社会人は、〇〇だ」など「社会人語り」をしているなあと気付いた。それは、何気なく過ぎていくいたって平凡な業務の時間や、「社会人=大人」という認識が時間の経過とともにそうでもないなと察していることが大きいだろう。

女子あるあるなのかは私も問いたいが、「悪口で盛り上がる風習」

あれは、女性として生きている私にとってちょっと苦痛だったりする。

私たちは、同じ仲間だよね?みたいな恐ろしい特有の空気が流れるのだ。そんな場面でもやり過ごすくらいには大人になってしまった

大人になってしまった、じゃあ大人だから愚痴をこぼす風習に合わせていいんだっけという一周寄り道してかえってきた答えがこれだ。

私は、甘えすぎていたなと。自分次第。あたり前のことだが、自分次第でしかない。こうありたいと、誇れる自身になるために甘えすぎてはいけないラインはあるのだ。そして、この芽生えた疑問、関心は絶対に何らかの形で残すべきだ。生きるヒント、道しるべになる(と信じている)

社会人になられて、失望している方、逆にキラキラと充実した日々を過ごしている方、毎日泣いている方、全ての同期に問いたい。

「社会人になって得たことは何ですか?」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?