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カポーティ ~ラブストーリーの書けなかった小説家~

          ヌーンシティ

 カポーティは、最初の小説である『遠い声遠い部屋』で、ヌーンシティという架空の町を作り上げた。この南部の田舎町は、バスも汽車も通じていない。隣町のパラダイスチャペルへ、週に六日、チャベリイ・テレビン油会社のトラックが郵便物の受け取りと物資の補給に来ているだけである。

 このヌーンシティには、彼が育ったアラバマのモンロービルが、色濃く投影されている。この町の人口は、3,500人ほど。街路樹に縁どられた歩道ガ通り、町の中心には広場があった。人懐こい人々は、大きなフロントポーチのある家に住んでいた。

          母のいない故郷

 カポーティの母親は、モンロービルの出で、ニューオリンズの実業家と結婚した。ひとつには、この町から逃れるためである。やがて離婚した彼女は、幼いカポーティをモンロービルの親戚の家に預けた。そこで彼の母親となり、友達となったのは年上のいとこミス・スックである。この子供っぽい女性は、秘密のレシピの水薬を作っていた。『草の竪琴』のドリー・タルボのモデルである。

 母親に棄てられたカポーティは、不幸なわけではなかった。同じように社会からはみ出した人たちとの生活は、彼にとって、人生でいちばん楽しい時ではなかったか。テリアを抱いて満面の笑みをたたえている幼い彼の写真が残っている。得られなかった両親の愛の代償である。『草の竪琴』では、主人公コリンの樹上の共同生活として描かれている。

          作品に現れる南部

 私の好きな、『草の竪琴』の冒頭の文章である。                 「町を出て、教会へ向かう道を行くと、まもなく骨のような白い墓石と褐色に焼けた花のまばゆい丘を通り過ぎる。すなわち、バプティスト教会の墓地である。わが一族、タルボ家やフェンウィック家の人々が葬られている。母が父の隣に、そして二十以上の近しい親戚の墓が、まるで木の根が這うように廻りを取り囲んでいる。丘の下には丈の高いインディアングラスが繁っており、季節と共に色を変える。秋、九月の終わりに見に行くとよい。日没に従って深紅の影が炎の風のようにうねり、秋の風が乾いた葉をたたく。人間の吐息にも似た音楽が奏でられ、竪琴の音が響く。」そして、ドリーは言う「聞こえた。あれが草の竪琴よ。丘に眠るすべての人たちの物語を知っているの。生きていたすべての人の物語。私たちが死んだら、私たちの物語も語ってくれるの。」。                                                 

 カポーティの作品には、繰り返し南部の風景が現れる。人は多かれ少なかれ土地の呪縛を受けている。

    ホリー・ゴライトリーは旅行中

ニューヨークに出ていたカポーティの母親は、キューバ人の実業家と結婚し、彼を呼び寄せた。子供の頃から作家になると決めていたカポーティは、ニューヨーカーのコピーボーイになった。彼は、仕事のかたわら、小説を様々な雑誌に売り込んだ。そして、『遠い声遠い部屋』の成功へとつながってゆくのである。

 『ティファニーで朝食を』は、ニューヨークが舞台の小説である。語り手である作家志望の男は、カポーティの修業時代と重なる。この男は、アパートのちょうど真下に部屋を借りていた主人公、ホリーと出会う。        

 このホリーは、社交界に出入りし、男と付き合うことで生計を立てている奔放な女性である。象徴的なのは、彼女の郵便受けの住所が「旅行中」となっていることである。この女性は南部出身で、一度結婚しており、その生活から逃げ出してニューヨークにやってきたのである。主人公は、この男に同質性を感じ取り心を許す。この同質性とは、一言でいえば、「旅行中」であるということ。枠の中からはみ出しているということ。よりどころのなさ。中性的なところであろうか。あくまで、「旅行中」のことであるから、二人の関係はこれ以上発展しない。この小説は、大人のファンタジーとして成功し、映画化されて、大ヒットした。

       ニューヨークの生活

社交界に出入りするようになったカポーティは、死ぬまで派手な生活を送るのであるが、そのありようは魂の消費であった。得られない愛の代償としてアルコールとドラッグ、同性愛に溺れてゆく。ニューヨークの生活は、小説に題材を提供しなくなった。彼は同性愛を疑われて、こう答えている「もし、ヘテロセクシャルの男が男とセックスしたら、ホモと呼ばれるのならば、ホモが女とセックスをして、ヘテロセクシャルと呼ばれないのはなぜだい。」

          冷血

 行きづまったカポーティは、小説の題材を生活の外へ求めた。新聞で見かけたカンザス州の一家殺人事件に興味を持った彼は、その事件を徹底的に取材することになる。

 殺されたのは、農場を経営するクラター一家で、クラター氏、妻のポニー、息子のケニヨン、娘のナンシーは、ロープで縛りあげられ、ガムテープで猿ぐつわをはめられ、至近距離から猟銃で射殺されていた。現場では、なにひとつ盗まれておらず。他人から恨みを買うようなものもいなかった。

 彼が集めた資料は、六千ページにも及ぶノートに記されていたという。カポーティは、これを三百六十三ページの小説にした。事実に基づく小説であるが、もちろんカポーティというフィルターを通した小説である。彼はこれをノンフィクションノベルと呼んだ。

 大成功をおさめ、名声を得たカポーティであるが、その後の彼の作品は精彩を欠く。もはや彼は自分の物語を紡ぐことができなくなっていた。最後の小説『叶えられた祈り』は、未完に終わった。

        旅の終わり

カポーティは、1984年8月26日、カリフォルニアの友人宅で亡くなった。麻薬の飲みすぎによる心臓麻痺だったと言われている。最後の言葉は、「僕だよ。バディだよ。」というものだった。バディとは、スックが彼を呼ぶ呼び名だった。「寒いよ。」と彼は言って、息を引き取った。

 旅行を終えた彼の魂は南部に帰り、故郷の丘の上で『草の竪琴』を聞いていることだろう。





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