Ichiro

英語講師。商店主。年齢不詳。短歌を始めて、10年ほど。趣味は、料理と映画鑑賞。小学生の…

Ichiro

英語講師。商店主。年齢不詳。短歌を始めて、10年ほど。趣味は、料理と映画鑑賞。小学生の時、図書室の棚にあった『少年少女世界の名作文学』を全巻読んで、道を踏み外した。

最近の記事

関門海峡の表情

  今日の日の海を見るべし七月の海峡にそひ行く車より   私には、そこへ行くと、必ずと言っていいほど歌が生まれる場所がある。そんな場所の一つに、関門海峡がある。  夕日で波がきらきらと輝いていたり、漁をする小舟を縫って貨物船が行くことがある。また、潮流が激しい時には、大きな貨物船でさえなかなか進まないのを見かけることがある。  いろいろな表情を見せる海峡であるが、東京から帰省した折にここを通ると、「ああ、帰ってきた。」と思えたものである。  東京での学生時代、中世文学

    • 万葉時代の孤独

       うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば  万葉歌人、大伴家持の歌である。  春の日が、うらうらと照っている。天高くひばりが泣いている。それを見ている家持の心は沈んでゆく。家持はひとりもの思いにふけっている。   「ひとり」は、万葉集に74例あるということだ。「寝る」につながる例が圧倒的に多く、その他「居る」「行く」「見る」など共にあるべき人がいないことを示している。  「ひとり思ふ」は家持独自の表現で、同時代人から抜きんでている。近代的な孤独のはし

      • サングリアにまつわる思い出

         スーパーの棚でサングリアを見つけ、手に取った。  こんな外国の酒まで商品化する商魂のたくましさはさておき、私は嬉しくなってしまった。  私が昔、スペインに旅行に行った折、サングリアばかり飲んでいた。  赤ワインにフルーツを入れた甘い酒であるが、私はそれがすっかり気に入ってしまったのである。  スペインでは、お決まりのアルハンブラ宮殿やフラメンコなどを楽しんだが、街で美人を探すのが、ひとつの楽しみだった。  私の意見であるが、ヨーロッパでいちばん美人が多いのはスペイ

        • 田舎の小さな個人商店の考えたこと

              その4 鶏飯 鶏飯というものを作ってみた。  写真をよく見ればわかるが、刻み海苔を入れるのを忘れていた。(ちゃんと、買ってきたのに!)  とりは、特売のムネ肉を使った。干し椎茸は、近くの産直市場の、一袋、百円のものを使った。  とても、おいしかった。  とりのダシとは、日本料理にしては珍しい。  ググってみると、奄美大島の郷土料理ということだ。奄美大島は、琉球文化圏に属するから、中国料理の影響が考えられる。  マグロや黒豚など、おいしいものに恵まれた奄美

        関門海峡の表情

          田舎の小さな個人商店の考えたこと

             その3 店から5分の自然 店から5 分も歩けば、野の風景が広がっている。  日々の雑多な思いから逃れるために、ここへ来る。この風景は、子供のころから、あまり変わっていない。  道端に、シロツメクサが咲いていたり、近頃は、ヒメジョオンが咲いている。これらは、主張する花ではないが、野の風景に色を添えている。  時には、ひばりの声が空から聞こえてくる。久しく聞かなかった声である。  私は、農薬の関係でえさが増え、ひばりが増えたのですはないかと思っている。強い農薬を使

          田舎の小さな個人商店の考えたこと

          田舎の小さな個人商店の考えたこと

            その2 バグダッドカフェが面白かった 私は古くてタダの映画ばかり見ているが、「バグダットカフエ」にはお金を払った。  夫と喧嘩して別れたジャスミンは、たった一人でモハーベ砂漠のバグダッドカフェにたどり着く。この店は、モーテルも経営しているが、さびれ切っている。女主人のブレンダは、働かない夫を追い出したばかりだった。  ジャスミンは、一癖も二癖もあるバグダッドカフェの人たちと次第に打ち解けてゆく。やがて、彼女はマジックを覚え、バグダッドカフェのショータイムの人気者になる

          田舎の小さな個人商店の考えたこと

          田舎の小さな個人商店の考えたこと

             その1 手作りパンをやってみた                    手作りパン始めました 「大手に対抗するには手作りだ!」と思い立った私は、パン作りの通信講座を始めた。  通信講座が終わるころには、無謀にも、パンを店頭に並べ始めた。食パンを2斤焼くのに、朝5時から昼近くまでかかった。1斤は、頼み込んでお客さんに買ってもらい、1斤は自家消費という調子だった。それが、2,3年後には、レパートリーがが20くらいになった。スーパーで修業するなどして、何とかパン屋の体裁が整っ

          田舎の小さな個人商店の考えたこと

          カポーティ ~ラブストーリーの書けなかった小説家~

                    ヌーンシティ カポーティは、最初の小説である『遠い声遠い部屋』で、ヌーンシティという架空の町を作り上げた。この南部の田舎町は、バスも汽車も通じていない。隣町のパラダイスチャペルへ、週に六日、チャベリイ・テレビン油会社のトラックが郵便物の受け取りと物資の補給に来ているだけである。  このヌーンシティには、彼が育ったアラバマのモンロービルが、色濃く投影されている。この町の人口は、3,500人ほど。街路樹に縁どられた歩道ガ通り、町の中心には広場があった。人懐こ

          カポーティ ~ラブストーリーの書けなかった小説家~