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一点決めで解決しなくていい

何か不具合が出たら、出来る限りすぐに解決しなければならない。

解決できないようだと、すぐに心が折れる。もしくは放棄してしまう。使えないものだと破棄してしまう。

こんなふうに思いがち。私も含めて...


以前にこんなnoteを書いた。

家の雨戸はちょっと壊れかけていて、うまく上げ下げできなかったのに、何とか誤魔化し工夫し動かして使っていたら、ある時なんとなく"いい感じ"になって動くようになった、という話をきっかけに書いた。


そして、この記事。

昔の人は今よりももっとわかってないことが多かったのに、試行錯誤を重ねて失敗を繰り返して病気に立ち向かう方法を編み出してきた。

途方に暮れないで、粘り強く物事に対峙する。

すぐに、簡単に、シンプルに解決しなくても、何度もぶつかっていくことで、いつのまにか道が開けている。

まるで、いつのまにかスムーズに開け閉めできるようになった、我が家の雨戸のように。

今はなんでも、質問を打ち込めば答えが表示されることが当たり前の時代。

人の忍耐力、どうにもならないことや状況の中でもがく力、というのが弱くなってきているのかもしれない。

シンプルでわかりやすい主張や理論が好まれ、安心感も生む。

でもきっと世の中は、世界は、人間は、身体は、そんなに簡単な理論では説明できないはずだ。

安心だけを追い求め、すぐに解決できることを良しとし、なかなか糸口が見つからないことを良しとしない。

でも、何も決め打ちで解決出来ることなんてどれだけあるのか?
混沌とした、もやもやとした霧の中を、こっちなのか?それともあっちなのか?どういう装備でいくのか?と試行錯誤しながらぶつかっていくことの方が解決出来る可能性は高くないだろうか?

昨今の先の見えない状況。
ウィルスの性質、動向などの調査は専門家の方にお願いすることとし、我々はどうしたらいいのか?

国の対策に自身でやれることを丸投げしたり、これさえあれば安心!ウィルス撃退!みたいな一点決めのデマ情報に踊らされたりせず(そっちのほうが、解決はなかなかしないかもしれないけど楽ではある)、
限りある手持ちのアイテムの中で工夫する、なかなか外出できなくても、地元の飲食店のテイクアウトを買って応援する、買い占めをしない、気分転換で出かけるなら近くで人の密集しないところへ時間帯を考えて出かける、困っている隣近所の人がいたら声をかけて、物品を譲り合う、きちんと専門家の意見や見解が書かれた信頼できる情報だけを集める...

いろんな方向からアプローチすることで、状況も変わり、解決に近づいていくのではないか。

さあ、もがこう。
そして自身の行動を意識的に客観的に見て、それを行うことの周りへの影響(良い影響なのか?悪い影響なのか?)を考えてから動こう。


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