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女神が咲く

 みなさま、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。昨年は「現代魔女」の理解を深めた一年でした。今回は、その経緯と、今年の展望などを書きたいと思います。
 2022年5月に、安田早苗個展「黄色い魔女が咲く」で、文化人類学者の河西瑛里子さんに講演してもらった「魔女の時間」。
父と子(男性神)であるキリスト教と違い、魔女は元々、キリスト教以前の自然信仰(ペイガニズム)に由来し、男神と女神を祀ります。ここから、女神信仰は生まれました。とくにイギリスは、女神信仰のグループがグラストンベリーにあり、そこを取材されたのが、河西さんの著書「グラストンベリーの女神たち」です。
 著書では、ジョーンズという女神信仰のリーダーが、「女神に出会ったのは、グリーナムだった」と発言しています。

“大地は食べ物を育む。女性は子供を生む。この共通性から、大地/地球(Earth)を女性、女神とみなす。だから魔女たちは自らが崇める女神を傷つけるような環境破壊や核ミサイルに反対するのだ。”

「魔女の時間」講演記録より

 グリーナムは、グリーナム・コモンというイギリスの場所で核兵器を配備することに反対した女性たちの反核運動です。このグリーナムについて、どういう活動だったのか、河西さんは、文藝2022冬号に寄稿されています。以下のユーチューブに、BBCニュース映像もあります。

 グリーナムは、歌ったり、踊ったり、手を繋いで基地を囲んだり、それまでの抵抗運動にはない、カラフルでアイデア豊かな活動でした。そして、そこでエコロジカル・フェミニズム運動が花開いたのです。

 エコロジカル・フェミニズムについては、2021年3月、安田早苗個展「悪夢に咲く」で、環境思想・教育研究第13号に論文を掲載されていた、浦田(東方)沙由里さんに講演していただきました。

この社会的生について見直す中で、資本主義に問題があるのではないか? という考え方が、エコロジーとフェミニズムの間で生じてきました。そして、同じ問題意識を共有したエコロジーとフェミニズムが結びつき、エコフェミニズムが誕生したのです。エコフェミニズムの理論では、資本主義社会が引き起こす搾取・支配・抑圧の問題には、家父長制が深くかかわっていることが指摘されています。

「エコフェミニズムってなに?」講演記録より

 家父長制(決定権が1人)の元、自然と女性を外部化し、(無料で)搾取することによる弊害に反対する活動と言えます。システムとしての家父長制による搾取・支配・抑圧の最たる弊害は、戦争でしょう。グリーナムでの反核キャンプがはじまった1981年は冷戦中で、核戦争の緊張が高まり、「グリーナムの女たち」を読んでいても、ヒロシマの再来になるのでは?という女性たちの恐怖とそんなことはさせないという強い意志を感じます。

 ところで、安田は、2022年12月に参加した日本文藝の冬の芸術展に、新シリーズ女神の6番目の作品「女神6」を出品しました。文藝のサイトでご覧いただけます。

 これは、環境活動家のグレタ・トゥンベリさんと、Twitterで知り合ったメルパン写真部さんの写真を組み合わせています。気候危機と女性の危機がリンクすることについては、国連も注目していて、彼女をモチーフにしてみたかったのです。

グレタさんのインスタから
メルパン写真部さんのTwitterから

 鏡リュウジさんの「タロットの秘密」でも、女神がフェミニストの精神的支柱になった経緯が記載されています。

鏡リュウジ「タロットの秘密」p 154

 キリスト教だけではなく、近代科学の父として有名なフランシス・ベーコン(1561〜1626)が、時の国王や魔女裁判を利用し、自然=女性を支配する理論を構築したという話は、C・マーチャント「自然の死」に出てきます。

自然が、器械を用いて拷問されるべき女としてあつかわれていることから、魔女裁判の審問や、魔女の拷問に使われた用具が強く思い起こされる。

キャロリン・マーチャント「自然の死」

 ところで、安田自身はクリスチャンではないものの、母方の曽祖母、祖母、母はプロテスタントのクリスチャンで、偶像崇拝は良くないと言われて育ってきました。
 安田は、1993年にスペインのマドリッドに一年ほど留学しましたが、教会やお祭りなどの時に見た、カトリックのマリア像への情熱的な感情移入に、禁忌を犯しているのでは?と驚きを覚えたものです。

グアダルーペのマリア像(Wikipediaより)

 2022年12月の展示には、文化・社会批評のアライ=ヒロユキさんも来られて、色々お話ししました。

 その時に偶像崇拝の話になったのですが、信心の要にもなる「偶像」は、目の前にある偶像そのものに信仰が集まるので、背景の抽象的な信仰には気持ちが向かなくなる。という話になり、なるほどと、思いました。子どもの頃から、偶像崇拝は良くないと言われていたので、いつのまにか身についていたけれど、そこには神の本質はないということだったのだろうか。

プロテスタントは、聖人崇拝、聖遺物崇拝、神の代理人としての教皇の位置づけなどに反対したが、その聖人崇拝の中にはもちろんマリア崇拝も含まれていた。そしてプロテスタント勢力からの失地回復を図るカトリック側の反宗教改革が、プロテスタントとの差異をむしろ際立たせることを戦略の中心としたとき、マリア崇拝が教義の前面に登場してくることは、むしろ当然であった。

松村一男「女神誕生 処女母神の神話学」

 わたしが感じた、マリア崇拝に対する禁忌の感覚は、プロテスタントとしては間違ってなかったようです。そして、マリア崇拝は、カトリックの戦略でもあったのか。
 クリスチャン家庭に育ったことは、2022年5月の個展で、儀式を行ったことにもつながります。河西瑛里子さんが体験したというアドバイスのもと、おまじないの紐を持って魔女がよく歌う歌をうたったあと、紐を切り、ボトルに詰め、Spellbottle(おまじないの瓶)を作り、持ち帰りました。

隣の人との間で、黄色い毛糸を切っていく。それぞれ星座のビーズと毛糸をお土産にもらい、いただいた小さなガラス瓶に詰める。この場でひとときを共に過ごした私たちは、これからそれぞれの家に帰っていくが、この場で生まれたつながりは切れない、という意味を込めて。

「魔女の時間」より

 これは、プロテスタントでは、洗礼を受けた大人だけが、参加できる「聖餐式」という儀式があり、再会を願う儀式を行なってみたいと思っていたので実行しました。聖餐式で、小さいグラスに入った赤ワインと1センチ角ぐらいの食パンを、「これはわたし(キリスト)の血であり肉である(というつもりでね)」などと牧師が言ってから、皆で食べるのを何度か見たことがあるという経験からきています。子ども心になんというのか、近くて遠い、そしてちょっと食べてみたい感じが。
 わたしが「魔女」や女神信仰で最も気になっていたのは、「供物」なのだけれど、魔女でエコフェミニストのスターホークさんは、魔女の神殿で供物がささげられたことはないと、その著書「スパイラルダンス」で、述べています。 
 また「地球を織りなおす」の「小羊の血としての神の起源」でサリー・アボットさんは、「人間は、食べ物として他の動物の命をとるときの罪悪感から、供物や宗教の意義が生まれた」などと述べています。
 

その他、マルタやサルジニアの女神の神殿、巨石文明の石室やストーン・サークル、クレタの遺跡ーいずれを見渡しても、人間が儀式によって殺されたことを示す証拠はありません。

スターホーク「スパイラルダンス」第2章

 報復の恐怖と動物を殺すことにたいする罪悪感をやわらげるために儀式が行われるようになったのだという考えをわたしたちが受け入れるなら、進化論的結びつきや動物との身近な関係をきっぱりと否定するユダヤ・キリスト教の伝統である霊魂創造説は、恐怖や罪悪感からわたしたちを守り、意識から動物を完全に消そうとする試みであると見ることができる。しかし、それにもかかわらず、漠然とした罪悪感や原罪意識というかたちをとる犠牲がある。(中略)この対立は、動物を殺すことにたいする罪悪感に原因があることは間違いない。

『地球を織りなおす』「小羊の血としての神の起源」サリー・アボット


女神5 サムホールサイズ

 ところで女神シリーズ中、Instagramで最も人気なのはこの作品。 
 女神シリーズは、今年3月に行う予定の個展で展示します。他の作品と展示することで、さらに女神の謎が解き明かされるのかも?
ご高覧いただけますと幸いです。

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