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1990年代の安田作品

 前回、魔女や女神について書きましたが、今回は、90年代の安田作品を紹介したいと思います。

“ところで、安田自身はクリスチャンではないものの、母方の曽祖母、祖母、母はプロテスタントのクリスチャンで、偶像崇拝は良くないと言われて育ってきました。”

 安田自身は洗礼を受けてないので、クリスチャンではないのですが、日本では総人口の0.8%と少数であるクリスチャンに接していたせいか、他の宗教と、そもそも宗教とはどういうものなのか?などは、漠然と気になっていました。

安田早苗1988年作「慈しみ」所有者宅にて撮影

これは20歳の時にほぼ初めて描いた100号サイズの油彩です。ビーズや布の額縁など、当時流行していた、新表現主義の影響をうけています。中央の文字は、仏教の「スッタニパータ」の「すべての生き物は安穏であれ〜」を英語に訳してもらって、書いています。背景は、雑誌で見かけたイスラム寺院の紋様です。この作品は、滋賀県展に出品したところ、特選になり、次の年のポスターになりました。

 1993年のスペイン留学後は、海外でよく見かける、看板のようなコラージュ作品を制作しますが、ここでは「メメント・モリ」をテーマにしています。メメント・モリとは、死を思えという意味で、骸骨などが踊っている図像などを指します。死を思うゆえに現在をより良く生きるという意味があります。

1994年北陸中日美術展入選 看板シリーズ

看板シリーズは、北陸中日美術展や丹南アートフェスティバルなどに入選し、水の波紋95の一次審査に合格し、ヤン・フートさんにお会いしました。

1996年Trample on me キュービックギャラリー大阪でのインスタレーション
 

 90年代の現代美術では、体験型インスタレーションが流行していたこともあり、メメント・モリであるとか、本能と理性の狭間に働きかけるような、当時わたしは「ゆれ」と呼んでいた感覚を呼び起こすインスタレーションを個展形式で開催していました。 この展示では、「花を踏む」ことによって「痛み」を感じるというコンセプトです。実際に花が痛いと叫ぶ訳ではないので、そこにはタブー(禁忌)があり、タブーには、宗教的意味合いなどが加味されていると考えます。

2000年 タブーを製造する機械鳥居型(井上明彦氏の展覧会場にて)

 この作品は、「タブーを製造する機械–鳥居型」です。関西では、ゴミ捨て禁止の場所などに鳥居を描いたり、置いたりすることから、制作しました。上の写真は、京都市立芸術大教授でアーティストでもある井上明彦氏が展覧会場に貼ってくれている所です。

 この観念的なものを構築するというコンセプトは、滋賀大学で薫陶を受けた村岡三郎氏や、鴫剛氏の影響です。鴫剛氏は、写真そっくりに描いた絵画と写真とを並べて、絵画そのものの意味を問い直したり、村岡氏は、塩や鉄など元素素材を使って、熱量など見えないものを表現しています。また、お二人とも度々、ヨーゼフ・ボイスの社会彫刻について言及されていました。
 わたしは、そこから他者に働きかけたコミュニケーション時におこる「ゆれ」る観念が空間に広がっていくというコンセプト、当時はまだそんな言葉があまり知られてなかったのだけど、現在でいうと、リレーショナル・アートを構築しようとしていたのです。

1997年 毒も薬も 国内外300通送ったメールアート 
一つの袋に本物の薬とシールが入っているマルチプル

 とはいえ、画廊に来るお客は業界やアートファンが多いという指摘を受けたこともあり、オフミュージアムで、いわゆる美術業界ではない他者を求めていったのが、1997年のメールアートや自宅展、2001〜05年の種をまくプロジェクトです。

 3月の「なるせ美術座」安田早苗個展では、90年代の安田作品や恩師の作品、参加型インスタレーションも展示します。お楽しみに。

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