【今日のわたし】35年越しの発見
いつもの朝、わたしはいつも通り化粧を始める。
リビングにあるテレビの前のテーブルにメイク道具が入ったポーチを置き、その横に折畳みの鏡を広げ、自分の顔がよく見える位置に置く。
化粧、といってもOL時代みたいにバッチリメイクはもうしない。日焼け止めを塗り、下地を塗り、薄くリキッドファンデーションを塗り、パウダーを叩き、眉毛を描く。子どもに携わる仕事上、アイシャドウも塗っていない。楽と言えば楽だが、女性をどこかに置き忘れたままもう何年も経っている。
楽、といえば最近まつ毛パーマに通い始めた。
私の腫れぼったい一重まぶたから生えたまつ毛は無駄に長く、そして私の視界を遮ってくる。
ビューラー?何それ、美味しいの?状態で、ビューラーをしてぐぐっと持ち上げたところでその効果は3時間ほど。すぐに私の視界に「すだれ」が現れるのだ。
そのすだれとおさらばすべく通い始めたまつ毛パーマで衝撃的なことを言われた。
「千穂さん、左目めっちゃ奥二重ですよ!」
「めっちゃ…オクブタエ?」
めっちゃ奥二重…が最初どういう意味かが分からず目を閉じたまま、表情筋だけ驚いたように動かしていたが、「二重」というワードだけは聞き逃さなかった。
「二重」
この言葉は私には一生縁がない言葉だと思っていた。
この世に生を受けて35年。私の瞼には周りの人にある線がなかった。
「このアイシャドウ、二重の溝に溜まるんだよね~」
高校1年の時、大親友の幸菜とロフトに行きアイシャドウコーナーで物色していたところ、幸菜はさらっと二重ならではの悩みを口にした。
その言葉はそれまで一重、二重なんてあまり気にしていなかった(というかあまり化粧にも興味がなかった)私に痛烈なコンプレックスを与えてきたのであった。
いや、気にしていなかったというのは嘘だ。恐らく周りが美意識を持ち始めた頃から、私は皆にある線がないことに気づき、落ち込み、それでも強く生きていこうと謎の情緒で過ごしていた。
アイプチ、という手ももちろんあったのだが、親からもらった体を大切にしなさいという母と父からの教えを頑なに守っていた少女時代である。
そんなこんなで、二重瞼からの強烈なカウンターパンチ(雑誌やメイク動画で繰り広げられる二重瞼至上主義)を喰らいつつも、生まれ持った個性である「一重瞼」を守ってきた(半ば意地)のだが、その個性が崩されそうになったのが、前述したまつ毛パーマ店での出来事である。
「千穂さんの左のまつ毛は、薄ら溝の下に生えてて~…」
目を閉じたままだったから何にも見えなかったけれど、何だか心踊った。
いや、一重まぶたを守ると決めたあの日の誓いを忘れるのか…!
そんなどうでも良い葛藤が頭の中でぐるぐるしつつ、私は聞いた。
「つまり二重ってことですよね…?」
「二重、というか奥二重ですね!めっちゃ」
二重とか図々しいこと言うんじゃねえ、と言われたような気がしたけれど、奥でもいい何でもいい。
私の瞼に線が現れたことは、私にとっては人生の大きな出来事のひとつである。
浮かれ気分のまま、くるんとなったまつ毛とともに迎えに来てくれた夫に
「ねえねえ、私の目何か気づかない?くるんってなった以外に!」
とうざったい聞き方をした。
「え、なに?わかんない。あ、目やについてるよ?」
目やについてるよじゃないよ。てか目やについてたのか、恥ずかしすぎるわ。
「目やに……はありがと。じゃなくて瞼!左の!二重だったの!」
「二重……?どこが?」
そうだ、夫も私と一緒で綺麗すぎる一重まぶたの持ち主だった。生まれてこの方、瞼に線があるなんて生活をしたことないんだった。
聞く相手を間違えた、と内心落ち込みつつもそれから毎日、左瞼のことを鏡で見つめる気持ち悪い日々が始まった。
余談だが、オアシズの大久保佳代子さんがこんなことを以前テレビで言っていた。
歳を重ねてから急に二重になり、整形疑惑が取り沙汰された。しかし、二重は自然になったらしい。
恐らく加齢、とのこと……
私もいつか両瞼が「二重」になる日が来るのだろうか。
それを喜ぶか、老いを感じて悲しむのか。
私はその日が来るまで、鏡で観察し続けたいと思う。
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