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アラサーで好きを爆発させた話

こんにちは、マヒロです。
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現在26歳。 世間でいうアラサーだ。 とりわけこの年齢は若いけど若くなく、大人だけど大人過ぎない、若者が大人になるための蛹期間に入る年齢であると考えている。

さてこのみんながオトナモードに入り服や髪形、思考なんかも落ち着かせる中でどんどん派手になっていく男がいる。 私だ。 その男Mahiroにつきである。

しかしながら僅かな葛藤はあるものの今好きを優先して生きているとこう思うのだ。

「やばい… 人生めっちゃ楽しい…」

というわけでなぜアラサーになって好き勝手やっているのかを書いていこうと思う。

目覚め

現在はここまで好き勝手させてもらっているが昔からそうだったわけではない。 むしろ昔はめちゃ地味だった。

ただ昔からアニメやゲーム等、とりわけ二次元に出てくるキャラクターが結構好きだったのでそういうキラキラしたものの憧れはあった。 ただ当時思い始めたのは小6。 さすがにお子様がいきなりやろうとしてできるわけではないため大人になったらやろう。 という強い野望を抱いたのが原点だったりする。

そこから時代は巡り高校生になったが相変わらずさえなかったものの野望だけは無駄にあった男にもある転機が訪れる。 KPOPとの出会いだ。

当時のKPOPは少女時代、BIGBANG、KARAが幅を利かせており、そろったダンス、斬新なスタイリング、ノリのいい音楽や確かな実力もあり、でも同じアジア系のメンバーというものにいささか衝撃を受けたのだ。 当時のKPOPアーティストを知っている人なら想像できると思うが、日本のアイドルやアーティストには珍しかったヘアカラーやスタイリングがたくさんあった。

画像1

(hello venus ライム)
これとか

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(EXO ベッキョン)
これとか(今のアイドルより気持ちバキッとしたカラーです)

おそらくメンバーが多くなってきた時代なのでちょっとした差別化の意図があったと思うがこれに感銘を受けた僕はこう思った。

「あ、俺もこの路線いけんじゃね?」

アニメキャラは頭身から顔立ちまで真似をするには限界があるものの、二次元に限りなく近いKPOP要素を混ぜればいい感じになるのでは? と思ったのだ。

基盤が作られた時期

しかしながら、そう簡単にできるわけではない。 何せまだ高校生。 糸口は見つけたものの金もなければ髪を染めることも到底不可。 なのでとりあえずバイトしながら少しずつ変えていけるものを探し出した。

まず服と髪型。 この二つは安いものでも雰囲気だけでもある程度寄せられる。 徹底的にまねをしたマッシュヘアは速攻で真似をしたが至る人にdisられたのを今でも覚えている。 が自分の好きなものをやることに異論はなかったし好きを始めて表現することは誇らしかった。 ただ、高校3年間マッシュヘアだったため、あだ名が「毒キノコ」にはなっていたのでそこはちょっと悲しかった。

服装もスキニー系のものをよく買っていたし、私服でネクタイとかいろいろ試していた。 こちらも似合っていないと親から特に言われていたが気にせず突っ走っていた。 ちなみに高校ではこの服装のせいか「マネキン先輩」とも呼ばれていたが気にはしなかった。 いや、気にしないようにしていた。

こうして高校を無事卒業し、大学へ進んだ。 大学では4年間は高校特有の縛りがないためどんどんやった。 相変わらず家族にはあきれられたがそんなことは気にしない。 楽しくて仕方なかったことを覚えている。

縛られてしまった時期

さてそんなこんなあったが就職をして、さすがにいろいろ落ち着かせたが、ここでもやもやする事があった。 大学を卒業して、22歳を超えたらみんな落ち着かせようということ。 訳が分からなかった。 あんなに楽しんでいたのにまるでみんな黒歴史のように過去を語っていたのを見て少し悲しかった。

就職して、大人と呼ばれる年齢になったら好きなことしちゃいけないの?

当時いた大阪のやや田舎ではみんな黒髪にしてスーツを着ていた僕を見てそれでいい。 そのくらいでいいとみんなが口をそろえていた。 悲しかった。 一度たりとも認められていなかったのはわかっていたけど、自分の好きとか表現が、無駄とか若さゆえという単語で片付けられているようだった。 自分の心に鎖がかけられる気がした。

その後就職して1年したころにモデルのため退職、8月に上京をしたとモデルになってからも心の鎖は取れなかった。 人と比べることと、当時24歳という年齢の後ろめたさと落ち着かなくてはという制御のせいでうまく好きなことをできなかった。

解放期間

上京して半年がたった頃にオファーがあった。 なんでもヘアカラー材のモデルになってほしいという依頼だ。 中性的で‘‘髪を染めれる‘‘モデルが欲しいとの依頼だ。 当時まだフリーランスだった僕は撮影が終われば黒戻すという条件を見てやろうと思った。 すぐ戻すんなら問題はない。 ならいいかと思い撮影に挑んだ。

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きれいにカラーリングされ、写真に写った自分を見たときあの感動がよみがえってきた。 あ、これが大好きだった時の自分だと。

考えてみれば今認めてくれなかった人たちは自分の近くにいない。 そして仕事でもプライベートでも東京は個性的な人にたいして何も言わない。 となれば好きにしていっか! という結論に至ったのだ。

あの撮影から時が2年ほどたったが好きを表現するのは気持ちがいい。 たまに躊躇することもあるがそんなときは自分の気持ちで嫌なのか周りの目が気になるからなのかを心で考えるようにする。

大阪では怖くてできなかったヒールのブーツやフリルのついたシャツも、顔覆うくらい長く脱色した髪も、今は楽しんで、自信を持つことができる。 もちろんTPOに合わすことは最低限考えるがそれ以外ではしっかり楽しもうと思う。 今は別に思わないけどその気になれば坊主にするとかスカートやドレス着たいと思ってもできちゃう気がする。

子供だった時に見た二次元のキャラや、高校で模索しまくったKPOPアイドルが、大人になってその2つが初めてミックスして、初めて自分が好きなものとして、初めて自分らしさを確立することができたのだ。 おおよそ10年越しの達成だ。

おわりに

今でも過去でも、周りに認めてもらえなくても、自分の好きは誰かにいいと言ってもらえるかもしれない。 好きは自分を楽しむためのサプリメントなんだと思う。 好きを年齢とか環境とかいろんなものであきらめる必要はない。

それでも文句言われたら言い返してやろう。 私の好きにあなたの意見は必要ないと。

あと、税金みんなちゃんと払ってるなら基本犯罪じゃなければ大丈夫。 それだけは言える。 ちゃんとしてれば大概のことは大丈夫。

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