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自分を守るために

本日はお休みしました。
自分を守るために。

身体の調子も良くなくて、指先のしびれや強い倦怠感がありました。
ただ、それ以上に心が動かなくて、胸のあたりがしんどくて・・・

要するに仕事したくない!ってwww
50歳過ぎているのに、中学生みたいな心www

そういえば、有名な占い師さんによれば、永遠の中学二年生とかwww

いつまでも子供のままじゃいられないのに、いつまでも子供のままでいつづけようとしているのか

休養学という本を手に取った。
XのFFさんがおすすめしていた本。
その中には、「疲れたから休みます」といって休んだ人がどれぐらいいるだろうか?と書かれていた。
パフォーマンスは、MAXの自分から疲労を引き算したもので産出されると。
であれば、疲労を抱えたまま仕事をするのは生産性が落ち、損害にしかならないと。
日本人は休むことが下手で、幸福感が落ちたままで、それでも働くべき、と言う理由で働いている人が多いとのこと。

多少気持ちが疲れてても、無理に働くことで支えてきた高度経済成長期、バブル期があるから、その呪縛から解き放たれない。
その時の思想が正しいと思っているから・・・

高度経済成長期、バブル期はまだ肉体を使う仕事もあったので、PCに向かって一日中座りっぱなしということはなかった。
だから休む=肉体を休めること、になっていて、取り立てて工夫する必要もなかった。

でも、今は違う。
現在の労働の質は、かなり変化してきていて、PCを駆使して頭脳を使うことが多いため、疲労の質が違ってきている。
要は肉体は疲れないのに、脳や神経は疲労している。

この状態で休み方を間違えていると、休みが休みではなくなってしまうこともある。

その辺りが精神的に疲労が抜けずにやんでしまう原因にもなっているのではないかと・・・

まだ全然読み進められていないが、かなり興味深い内容だった。

正直・・・我々の年代は自分の健康を犠牲にして、仕事しているのが当たり前だった。
インフルエンザに疾患した人が、来ちゃえば何とかなると言って仕事しているのを何度も見てきた。
逆に休む人間がいると、薬飲んでればなんとななるのに何で?などと言っている人もいた。

自分自身も徹夜が何度も続いたのに、そのまま仕事を続けていて、自分が仕事をしている充実感みたいなものがあった。

今の時代では考えられない状態だった。
QOLを犠牲にして稼ぐのが、社会人として当たり前になるようなところも

そんなことして、結局体壊して、精神壊して、損をするのは自分自身。
会社や周りの上司、同僚は何も助けてくれないし、実際助けることなんてできやしない。

自分を大切にしながら働くとはどういうことなのか?
その辺りが、道に迷った状態だから、生きにくい人生になっているのだろう

今からでも遅くないのか・・・
自分を大切にしながら、自分の生活を守る術を、身に着けていく必要がある。

どうせ年金はあてにならない。
死ぬまで働くことになるだろうけど、それなら自分を大切にしながら働ける仕組みを構築するしかない。

まだ先は長いかもしれないから。

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