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blocco誕生の話、その思いとは?<前編>

bloccoは北海道で1953年に創業したソファメーカー、沼田椅子製作所のオーダーソファブランドです。

3代目である営業本部長の沼田英司(写真右)と、弟で工場長の沼田雄三(写真左)の兄弟が中心となって、2006年に立ち上げました。

bloccoの品質と作り手の精神を守る、工場長の沼田雄三のインタビューを<前編><後編>に分けてお届けします。

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沼田椅子製作所の職人になるまで

「はじめてモノづくりをした記憶は、小学校の自由研究で兄弟で木の椅子とパソコン台を沼田椅子製作所の工場で作ったこと。自分たちで考えたものを『どうすればいいか』と職人さんに聞き、『こうすると強度が出るよ』などのアドバイスをもらいながら作りました。でも、作ったはいいけど、大きすぎて学校へ持って行けなかったんです」と笑う。

社会人のスタートは、関東で営業などのモノづくりとは全く違うジャンルの仕事を経験。その後、北海道へ戻り、沼田椅子製作所の手伝いをしている内に自然な流れで社員に。

「始めの2〜3年は木を切ったり、組み立てたりする日々でした。工場では各工程につき一人一担当制でなかなか異動がない。なので、だんだん自分のパート以外の行程にも興味が沸いてくる。そこで、自分の仕事を終わらせた後、手が回っていないパートを見つけて自ら手伝いを申し出ながら担当外の行程を勉強していきました。」

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こうして木の加工以外の飾り木、研磨など、できることを増やしていった。
しばらくして、当時のソファの仕上げ担当が定年退職するタイミングで仕上げ担当に異動に。

仕上げ担当は、各パーツをひとつにまとめてソファとして完成させる最終行程の仕事。トラックが到着して出荷時間が迫る中、それぞれのパーツが出来上がるのを待って、大忙しでひとつのソファにひとりで仕立てなければいけない。

きちんとしたよいモノをお客様に届けたいという思いが募り、時間に追われずスムースに完成まで作り上げるにはどうすればいいのか、滞っている行程はどこなのか。裁断なのか、下張りなのか、どこを手伝うとよい流れを作れるのかを探りながら、葛藤や工夫をして流れを見直しながら作っていました」

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モノづくりの技術を守りたい

bloccoが誕生する2006年より少し前、時代は中国製のモノが市場に溢れ、モノづくりも安価にできる風潮がやってきていた。販売店からは「中国の価格に合わせて」、「この手間省いて」などの要望が増え、どんどんコストや手間を削ぎ落とすあまり、持っている技術をも省こうとする流れがやってきた。

「このままだとモノづくりの技術がなくなる」「このままでいいのか」という危機感や疑問を、兄の沼田英司と夜な夜な語りながら過ごす日が増えた。

この業界では卸メーカーがユーザーに直販することはタブーとされていた時代。その一方で、取引先の家具屋がなくなり、売上げが激減するという難しい時代でもあった。

どうしたら打開策が見いだせるのかと八方塞がりだったこの頃、WEBが発達し始め、ネット通販の波がやってきていた。

blocco誕生のとき

「自分たちでなんとかしなければ!」という思いが重なり、時代の流れに逆行する形で生まれたのが自分たちのオリジナルブランドだった。

ブランドネーミングを考える中で、候補にあったのが「カタマリ」という意味を持つイタリア語の「blocco」。ソファは色々なパーツのカタマリ。住空間が豊かなイタリアに憧憬もあり、この「blocco」という名前に決まった。

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始めは楽天のネットショップからスタートすることに。
最初のページづくりは、仕事が終わってから兄弟で集まり、3ヶ月くらいかけて作りあげた。

当時は直販に対して会社の理解がなかなか得られず、あまり社名も出せない中でのブランドの立ち上げ。販売するものも、会社で廃盤になった5型のソファからのスタート。

これが「blocco」が生まれた第一歩だった。

<後編>へつづく

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