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ガバメントをD.I.Y.する?

黒鳥社が贈る「次世代シリーズ」の第2弾がいよいよ刊行。「銀行」に続くテーマは「行政府」。『NEXT GENERATION GOVERNMENT 次世代ガバメント 小さくて大きい政府のつくり方』の刊行に寄せて、企画・編集・執筆をひとりで担った若林恵が綴る、エディターズレター。

TEXT & PHOTOGRAPHS BY KEI WAKABAYASHI


先日、ランドスケープアーキテクトの石川初さんとお会いして、先生が主宰する慶應大学SFC内の研究室の学生とともに行った徳島県神山町で行なったフィールドリサーチについてのプレゼンテーションを聞いた。それは非常にユニークかつ面白いリサーチで、都会暮らしの人間には想像もできない、融通無碍で弾力性に富んだ山の暮らしのすがたを生き生きと教えてくれるものだ。

石川さんは学生たちとともに、神山の景色をつくりあげている石積みや、ちょっとした日用品に施されたハックや、ある集落で新たなミームとなっている夕方の散歩のための歩径路など、一見やりすごしてしまいそうなディテールのなかに、意識化はされていない方法やシステムを見いだし、それらに新しい名前を与えては積極的に価値を与えていく。行政的、もしくは官僚的に整備された公的なシステムに対して、それは無意識的でいてオルタナティブなDIYサブシステムとでもいうべきものの存在を明らかにする。

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石川さんは、公式なシステムと非公認のシステムとの対置を、たとえば鍬や鋤といった農機具のあり方の変遷を通して、こんなふうに説明している。

村の鍛冶師によって村人たちの鍬や鋤が誂えられていた近代以前の時代、それらの道具は、すべてが個々の村人たちが扱う農地や山に対してカスタマイズされたものだった。タケノコを山の斜面から掘り出すことひとつをとっても、村人が入る山の斜面の角度はそれぞれ異なっているがゆえに、鍛冶師はそれぞれの村人本人の身体と山の斜面に合わせる格好で、柄と刃の角度を微妙に変えて仕上げていたという。ところが、工業化による大量生産を実現した近代以降の社会は、ほんとうならば微妙にまちまちだったはずのものを平均化・平準化して規格化することで、画一的な「商品」へと作り変えていく。逆の言い方をすれば、大量生産が可能な「商品」へと転換するために、それらは平均化・平準化・規格化されていく。いずれにせよ、そうしたプロセスは、すべての土地や斜面の固有性というものを極度に抽象化するもので、平均値というのが抽象的なフィクションであれば、それは微妙にどの現実の斜面にもどの身体にも合致しない。その結果起きるのは、規格品の鍬や鋤は、どの斜面においても「微妙に使いづらい」という状況だ。であればこそ、山の人びとは、そこに手近なものを使ってちょっとしたひと工夫、ハックを施すことで、それぞれに固有な環境に対して最適にフィットする「角度」を探りあてることを日々の営みのなかに組み込んでいく。

そうしたDIYハックの達人たちを、石川さんは最大限の敬意をこめて「FAB-G」と名付けている(彼らの生態については『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い』石川初・著に詳しい)。FAB-Gたちが、現場の固有性を前にして発動するクリエイティビティは、そうした観点から見れば、単なる趣味でも遊びでもなく、生活と一体となったサバイバルの戦略でもある。そうした知略は、大量生産の配給制度がこの世界の隅々までを規格品で埋め尽くそうと躍起になればなるほど、とりわけ環境の固有性が高い山の暮らしでは不可欠のスキルとなる。

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一方の都会はといえば、環境そのものをジェネリックな規格品につくりかえ、そうした現場でのカスタマイゼーションを不要なものにしていく方向で「発展」が進行することになるわけだが、そうやって土地の固有性をいくら抹消していったところで際立ってくるのは人の固有性であって、そればかりはどうしても消せないとなると、結局のところ都会においてもまた、個々人による環境適応に向けたカスタマイズの努力を要請することにはなる。その面倒をいちいち解消すべく、規格品の欠如を市場を動員しながらさらなる規格化をもって埋め尽くそうとする近代行政府的なやり口は、いつ果てるともしれないいたちごっこを延々と引き起こす。それがやがて手続きと書類に包囲された、もっと息苦しい、もっと官僚的な社会をつくりあげていくことになるのは、文化人類学の鬼才デヴィッド・グレーバーの『Bullshit Jobs』が明かす通りだろう。

というわけで、山奥の暮らしであろうが、都会の暮らしであろうが、そんなやりかたでみんなの不満や不安を溜めていくことになるのであれば、それをどこかで諦めて、どうせ公的システムの裏側で作動しているFAB-G的なクリエイティビティやハック力を、積極的に可視化、価値化すべきではないかという考えがでてくることにもなる。そして、それを鋤や鍬といった物理的な道具だけに関わるものではなく、社会の編成のされ方全体へ話を敷衍するのであれば、なるほど、わたしたちの社会が抱えている根源的な苦しさの正体も見えてくるような気がしてくる。それは、普遍性、一般性、再現性を前提に組み上げられた社会の息苦しさであって、そう思えば、FAB-Gたちが提供してくれるのは、そこから人や土地や時間の固有性、一回性を奪還するための態度であり手法、戦略なのだ。

普遍性ではなく固有性、再現性ではなく一回性を前提に、社会をいま一度織り上げていくことはできないものか。思えばこの間、自分が興味をもってきたことは、こうした問題意識に多かれ少なかれ関わっている。ロンドンの音楽業界の自生的なインキュベーションシステムに感化され文化人類学が授けてくれる新しい知見に心踊らされ神山で起きている堅実な変革に感銘を受け恐れながら審査委員長を務めるアワードで「コンヴィヴィアリティ」というテーマを採用したこと、さらにはビヨンセのライブ映画・音源『Homecoming』にひどく興奮したこと、ロンドンやシカゴのジャズシーンがやたらと面白く感じられることなども、自分のなかではすべておなじ問題意識のなかでつながっている。言うまでもなく、今回制作した『NEXT GENERATION GOVERNMENT 次世代ガバメント』というムックもまたその流れのなかにある。

石川さんは「FAB-Gは希望なんですよ」と語っている。それは自分がインドのデジタルトランスフォーメーションやロンドンの音楽シーンに抱く希望に近しいものだと思っている。そうした自分なりの希望をあちらこちらで拾い集め、だいぶ適当な感じでブリコラージュしたのが『次世代ガバメント』というムックの正体だが、取り立てて最新の事例や最新の理論を紹介しているわけでもないくせに偉そうに本の中で熱弁を奮っているのは、焦点があくまでも「希望」というところにあるからだ。いくら最新事例や最新モデルを紹介したところで、そこに希望や期待を抱く抱き方がわからなければ、なんの意味もない。それがないところでは、そもそも変革なんてものに誰も本気で取り組みやしないのだから。

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NEXT GENERATION GOVERNMENT
次世代ガバメント 小さくて大きい政府のつくり方


企画・編集・執筆|若林恵
B5変型判/ソフトカバー/192ページ
本体1,800円+税
発売日|2019年12月9日
発行|株式会社黒鳥社
発売|日本経済新聞出版社

eガバメント、データエコノミー、SDGs、地方創生、スマートシティ、循環経済、インディアスタック、キャッシュレス、地産地消、AI、クラウドファンディング、ライドシェアから……働き方改革、マイナンバー、ふるさと納税、高齢ドライバー、「身の丈」発言、〇〇ファースト、災害、国土強靭化、N国党、Uber・WeWork問題、プラットフォーム規制、リバタリアニズム……さらにはデヴィッド・グレーバー、暴れん坊将軍、ジョーカー、ヒラリー・クリントン、メタリカ、カニエ・ウエストまで……縦横無尽・四方八方・融通無碍に「次世代ガバメント」を論じた7万字に及ぶ「自作自演対談」に加え、序論、あとがき、コラム32本を一挙書き下ろし! 企画・編集・執筆、全部ひとり!現場で戦う公務員のみなさんにお届けしたい、D.I.Y.なパンクムック‼︎

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