黒鳥社より年始のご挨拶|黒鳥社CEO 土屋繼
正月気分もとうに抜けたこんな時期に出遅れもいいところだが、年始のご挨拶を。
自分でも無茶だと分かりながら、昨年11月から、大阪に本社がある会社の社長という仕事を引き受けてしまい、今年は年始から大阪、そしてトンボ帰りで東京、と2日間丸々挨拶周りで潰れてしまった。そんなことで、黒鳥社に行ったのは7日が初日で、設立以来恒例である愛宕神社への初詣に若林と2人で行った。その後、2人で昼ごはんを食べながら四方山話をしたのが、黒鳥社としての仕事初めである。
昨年はどうなることかと思ったが、オリンピックや選挙も含め何だかよく分からない1年だったような気がする。どこまでいっても個人的な感想に過ぎないのだけれども、ほんのごく一握りを除いて、結局誰ひとりとして納得や成果を得ることができない、この社会のあり方に改めてウンザリした感じだけが残った。
そんな2021年を経て2022年に突入し、何が僕らを待っているのだろうか、と思いを巡らせるものの、またしても徒労感だけが残るとしたら本当に何も報われないなと絶望にも近い感情を抱かざるを得ない。
ただ一方で、会社としては設立5年目に突入する年になって初めて、元々語っていたことが実現できるかもしれない状況になっていて、少し希望の光が見えていると思う。
自分という個人を振り返ると、そもそも誰の言うことも聞きたくないから、自分でも記憶しきれない、とんでもない数の会社に関わり、ふらふらとフリーランスのようなやり方で仕事をしてきた。そこにあるのは、どこまでいっても「土屋繼は土屋繼に過ぎず、それは何事にも代替できるものではないし、それ自身が看板である」という、なんだかよく分からない、確信なのか、自信なのか、はたまた自惚れなのか、何かそういったものである。
そんな人間からすると、2021年に残った、ある種の残念感というのは「僕らはもはや何かに属することに飽きているし、もっと言うと誰かが僕らの代わりに何かを気持ち良く決めてくれるなんてことはもはや妄想に過ぎないし、そんなことは実現しない」ということなのだと思う。ただ問題は、そこからどうやって抜け出せば良いのか?という問いに対する答えは簡単には見つからず、そうやってぼんやりと問いを抱えたまま漫然と時が過ぎていってしまうことだ。
そんなしんどい状況ではあるものの、まだまだ救いはあるはずだとは思いたい。2022年、少し見えている希望の光を現実のものとし、状況の改善に対して多少なりともアングルを創り出すことを目指して活動を続けていきたいと思う。
引き続き、皆さまからの暖かいご支援と素晴らしい知見を頂戴できれば幸いです。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
株式会社黒鳥社
代表取締役CEO/マネージングディレクター
土屋繼