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『働くことの人類学【活字版】』 第3話|胃にあるものをすべて 佐川徹

コクヨ野外学習センターの人気ポッドキャスト〈働くことの人類学〉の単行本『働くことの人類学【活字版】 仕事と自由をめぐる8つの対話』から、【第1部】働くことの人類学の全6話を特別有料公開。

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『働くことの人類学【活字版】 仕事と自由をめぐる8つの対話』
松村圭一郎 + コクヨ野外学習センター 編
出演:柴崎友香/深田淳太郎/丸山淳子/佐川徹/小川さやか/中川理/久保明教

コクヨ野外学習センターが贈る人気ポッドキャスト〈働くことの人類学〉待望の【活字版】登場。
もっと自由で人間らしい「働く」を、貝殻の貨幣を使う人びと、狩猟採集民、牧畜民、アフリカの零細商人、アジアの流浪の民、そしてロボット(!)に学ぶ。文化人類学者による目からウロコの8つの対話。仕事に悩めるすべてのワーカー必読!絶賛発売中です!

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第3話 胃にあるものをすべて 佐川徹

エチオピア南部の国境地帯に暮らす牧畜民「ダサネッチ」の
研究をされている慶應義塾大学の佐川徹さんに
本家本元の「ノマドの思想」を学びます。
その徹底した個人主義に根ざした「社会」と「政治」のあり方とは?

Illustration by Tomo Ando

佐川徹︱さがわ・とおる
慶應義塾大学文学部准教授。東アフリカの牧畜社会で紛争や開発について調査を行っている。近著に『アフリカで学ぶ文化人類学―民族誌がひらく世界』(共編)、『遊牧の思想―人類学がみる激動のアフリカ』(分担執筆)がある。

松村 前回のアフタートークで「ノマド」ということばが出てきたのを聞いて、そういえば一時期、そういう呼び方をいろんなところで耳にしたな、と思い出したのですが、もともと「ノマド」は遊牧民や牧畜民を指すことばなので、それなら「本物の牧畜民の話を聞いてみよう」というのが今回の趣旨です。  広い領域を移動しながら生活をしてきたという意味では、狩猟採集民と近いところもあるんですが、牧畜民は家畜を飼って放牧をしながら土地を移動していきます。今回は、なぜ牧畜民はそういう生業形態なのか、という基本のところからお話を聞いていきたいと思います。よろしくお願いします。

佐川 よろしくお願いします。


離れることで愛おしくなる

松村 佐川さんとも同じぐらいの時期に大学院に入って、一緒に研究会で勉強してきた仲なんですよね。私も同じエチオピアをフィールドに研究をしているんですが、ダサネッチはエチオピアのなかでも端っこにいる人たちですよね。私も行ったことのない場所です。まず、ダサネッチがどんな人たちなのか、簡単に教えてもらえますか。

佐川 ダサネッチが住んでいるのは、エチオピアの西南部ですね。ここは国の一番端っこで、南にケニア、西に南スーダンという国があるので、3国のちょうど国境付近になります。最近は道がよくなったので、エチオピアの首都のアディスアベバからは車で1日半の距離です。だけどいまでも「辺境の地」ですね。気候は乾燥していて、年間平均降水量が350ミリから400ミリぐらい。東京でだいたい1500ミリなので、その4分の1ぐらいしか雨が降らない。人口はだいたい7万人です。国境を越えたケニア北部にも数千人が暮らしています。

松村 それなりの人口ですね。

佐川 そうですね。ただエチオピアは、人口が1億人を超えていますから、国全体で見るとマイノリティのなかのマイノリティです。

松村 首都からは距離にするとどれくらいですか?

佐川 直線距離で700キロぐらいですかね。

松村 私が調査している村が、首都から350キロから400キロぐらいの距離なので、ちょうど中間に当たる感じですね。私が調査していた農村は標高が1500メートルぐらいあって、雨も年間2000ミリぐらい降るときには降るので緑が広がっているんですけど、佐川さんが調査されている国境地帯は、標高も低く乾燥しているし、全然環境が違いますね。ダサネッチはなぜ、暑くて乾燥していて一見何もないような場所で生活をしているのか、そのあたりを教えていただけますか。

佐川 私たちからすると何もないように思えるんですけど、少ないながらも雨が降って、川も流れているので、牧草や乾燥に強い木はそれなりに生えているんです。ただそういう草とか木の葉っぱは、私たち人間には食べられないですよね。消化できない。しかし動物は、それを食べて、それが肉になり、骨になり、血になり、そしてミルクになる。その家畜生産物を、人間が食べたり飲んだりできる。ですから、動物を家畜として飼養することで、それなりに満足のいく生活が送れるようになっている。これが牧畜という生業の基本です。

松村 人間が種をまいて作物を育てることは、ほとんどできない土地なんだけど、自然に生えている、人間には食べられない植物を動物がとり、その動物を利用して人間が生活しているんですよね。ダサネッチはどんな動物を飼っているんでしょう。

佐川 ダサネッチは5種の家畜を飼っています。ウシ、ヤギ、ヒツジ、ロバ、あとラクダを少しですね。東アフリカの牧畜民はいろいろな家畜を一緒に飼うことが特徴で、これは環境への適応という点で大事になってくるんです。

松村 いまでも移動生活をしているんですか?

佐川 最近は、国家が定住化政策を進めていて、移動の頻度や移動距離はかなり減少してきているのですが、家畜と一緒に暮らす家畜キャンプでは、いまでも数週間からひと月に1回ぐらい居住地を移していきます。ですから、現在でもノマディック(遊動的)な生活を送っているということができます。

松村 定住化政策があっても、牧畜民は牧畜という生き方、あるいは移動生活という生き方を簡単に捨ててはいないわけですね。

佐川 そうですね。例えば、定住化政策を進める政府は「農業をしろ」って言うんですけれども、なかなか難しい。そもそも雨が降らない土地なので。

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松村 そうですよね。

佐川 ダサネッチは、川の季節的な氾濫を利用した「氾濫原農業」を伝統的に営んできました。しかし政府は、川が流れているのだから、もっと計画的に生産ができる灌漑農業をやれ、と言う。でも灌漑農業は土地の塩害を招きやすいし、灌漑に使う機械の修理も難しいので、継続的にやっていくのが難しい。そういう環境のなかで牧畜という生き方を続けてきたわけですが、それが国家にはあまり望ましくないとされて、苦境に立たされているのが牧畜民の現状です。

松村 例えば放牧だと、毎日家畜を連れて水を飲ませに行ったりしていると思うんですけど、どのくらいの距離を移動しているんですか?

佐川 まず「日帰り放牧」をしています。毎朝、ミルクを搾ったあとに集落から離れて、牧草と水を求めて放牧し、夕方に戻ってきます。この「日帰り放牧」は、だいたい片道10キロぐらいのところまで行って戻ってくることが多い。それとは別に、集落自体を移す、つまり引っ越しもします。こちらの移動距離は、その時々によってだいぶ違いますね。短いときには、数百メートルしか移動しないときもある。

松村 数百メートル?

佐川 大きく移動する場合には、数十キロ移動するので、その時々によって移動距離がだいぶ違うんです。

松村 草がなくなったから移動する、と想像しちゃうんですけど、数百メートルだと、そういうことではなさそうですね。

佐川 移動すると言うと、水とか草がなくなって、生存の必要性に駆られて移動していると思いがちですよね。たしかにそういうときもありますが、移動にはそれ以外のさまざまな機能があるんです。

松村 面白い。どんな機能ですか。

佐川 ひとつには、生活環境を快適に保つという機能があります。彼らはトイレをつくりませんから、集落のすぐそばで用を足します。ですから、しばらく同じ場所に住んでいると、糞尿が近くにたまってくる。ダサネッチは「自分たちのご先祖さまは地中に住んでいる」と言います。なので、糞尿がたまってくると、「ご先祖さまの世界に糞尿が届いちゃう、こりゃいかん」ということで移動します。
 また、人間関係を調整するのも非常に大きな機能です。特に仲が悪くなった人との関係をどうするのか、という問題ですね。アフリカの民族社会には呪いが多い、というイメージをもっている方がいるかもしれません。たしかに定住的な農耕社会に呪術は多いけれど、遊動的な暮らしをする牧畜民には相対的に呪術が少ないと指摘する研究があります。
 ある固定された空間に同じメンバーで住み続けなければいけないとなると、嫌な人間がいても、うまくやっていかなくてはなりません。自分の感情を表立って言うことがあまりできない。そうすると、負の感情がどんどん沈殿していき、それが呪いの形で表れてくるのかもしれない。一方、移動できる人は、人との関係が悪くなったら、とりあえずそこから離れてしまえばいいわけです。

松村 なるほど。

佐川 物理的に場所を移して、別のキャンプに移動してしまえばいい。むかついている相手と毎日顔を合わせていれば負の感情が増幅していきますが、しばらく顔を合わせないでいると、だいたいの感情は収まっていく。移動には、他人と物理的に距離を取るという役割もあるんです。

松村 会社でも学校でも、嫌な上司や同級生と一緒にいなきゃいけないとなると病んでいくとか、色々なストレスがたまっていくといった話はあふれていますが、距離を取ればいいということですね。

佐川 ある牧畜民研究者は、そのことを「absence makes the heart grow fonder」という英語のことわざで表現しています。「空間的に離れることで相手が愛おしくなる」といった感じの意味ですね。

松村 これは牧畜民のテーゼというか、人間関係の極意のようなもので、おそらく狩猟採集民にも似たところがありますよね。人間関係が悪化すると、その場所から動いて仕事や働き方も変えていく。これまで、ノマドというと、資源や食べ物を求めて必要に駆られてやむを得ず移動しているイメージがあったんだけど、むしろ積極的に移動する側面もあるということですよね。移動すれば、そのあとは排泄物も自然がちゃんと分解してくれるし、人間関係もリフレッシュする。移動にそういう積極的な意味があるというのは、面白いですね。


コブを揺らして、水を飲む

松村 ところで移動する世帯の単位はどれくらいなんですか? 例えば一箇所の集落に、ある程度固定メンバーが住みながらも、そこで喧嘩なんかが起きると、分裂してより小さい単位で移動するような感じでしょうか。家畜も人も、どのくらいの数で移動していくんでしょうか。

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