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『働くことの人類学【活字版】』 第1話|貝殻の貨幣〈タブ〉の謎 深田淳太郎

コクヨ野外学習センターの人気ポッドキャスト〈働くことの人類学〉の単行本『働くことの人類学【活字版】 仕事と自由をめぐる8つの対話』から、【第1部】働くことの人類学の全6話を特別有料公開。

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『働くことの人類学【活字版】 仕事と自由をめぐる8つの対話』
松村圭一郎 + コクヨ野外学習センター 編
出演:柴崎友香/深田淳太郎/丸山淳子/佐川徹/小川さやか/中川理/久保明教

コクヨ野外学習センターが贈る人気ポッドキャスト〈働くことの人類学〉待望の【活字版】登場。
もっと自由で人間らしい「働く」を、貝殻の貨幣を使う人びと、狩猟採集民、牧畜民、アフリカの零細商人、アジアの流浪の民、そしてロボット(!)に学ぶ。文化人類学者による目からウロコの8つの対話。仕事に悩めるすべてのワーカー必読!絶賛発売中です!

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第1話 貝殻の貨幣〈タブ〉の謎 深田淳太郎

パプアニューギニアをフィールドに研究をされている
三重大学の深田淳太郎さんをお招きして
いまも貝殻の貨幣を使いつづけているトーライの人びとの話から
「お金」と「働くこと」の意味を考えます。

Illustration by Tomo Ando

深田淳太郎︱ふかだ・じゅんたろう
三重大学人文学部准教授。パプアニューギニアのラバウルをフィールドに貝殻貨幣などのローカルな経済システムと市場経済の関係について研究。近著に「除菌と除霊とキャッシュレス」(『現代思想』2020年8月号)、「貨幣と信用」(『文化人類学の思考法』所収)など。

若林 「働くことの人類学」の第1回目は、パプアニューギニアをフィールドに研究されている三重大学の深田淳太郎さんをお迎えして「お金ってなんだろう?」をテーマにお話しいただきます。

松村 今回、このポッドキャスト企画の大きなテーマは「働くこと」です。これは若林さんからいただいたお題なんですけど、なぜこういうテーマになったんですか。

若林 働くことって、いま誰しもが興味ある話題なんですね。それはおそらく、自分の人生において働くことの意味が大きく揺らいでいるからだと思うんです。実際に、仕事って人生のなかでたくさんの時間を割くものですから、その意味が揺らいでしまうと人生そのものが揺らいじゃいますので、これは由々しき事態だと思うんです。ですから「働く」ということをもう一度社会のなかに、あるいは自分の人生のなかにちゃんと埋め込み直さないといけないんじゃないのかなという思いから、松村さんにお声掛けさせていただきました。

松村 シリーズの第1回目を、深田さんにお願いしたのは、「お金ってなんだろう?」が大きな問いとしてあるからです。私たちが「仕事をしている」とか「働いている」というとき、対価が発生してお金をもらうことで初めてそう認識していると思うんですよね。何かをやって、そこにお金のやりとりが発生しなければ、それは「趣味だよね」とか「ボランティアですね」と言われてしまうわけです。お金を介さないと、仕事とは違う何かと見なされてしまう。
 特に日本では、働くことは、お金を受け取ることとほとんどイコールに想像されていると思うんですけど、じゃあ、仕事の目的であるお金が何であるかをきちんと理解しているかというと、そんなことはない。案外よくわからずに働いている人が多いと思うんです。

若林 わからないですね。僕らは子どもの頃に、はじめは物々交換の社会というものがあって、それだと面倒だから貨幣が生まれた、みたいにお金というものの起源について習ったと思うんですけど、どうもそうじゃなさそうだといった話が、文化人類学方面から出てきているとも聞いています。

松村 お金って、実は私たちがイメージするのとは違う形で、世界中の色々な人たちによって使われてきたし、いまも使われ続けているんです。深田さんは、パプアニューギニアのトーライという社会で、貝殻の貨幣が使われ続けていることに注目してフィールドワークをされてきました。私たちとはちょっと違うお金の使い方、お金との関わり方をもつ社会から、「そもそもお金ってなんだろう?」という問いについて今回は考えてみたいなと思っています。


「タブ」とは何か?

松村 深田さんとは、もうだいぶ長い付き合いになりますよね。

深田 そうですね、10年ぐらい。もっとですかね。

松村 大学も違いますし、調査している地域も違うので、どこで最初にお会いしたのか思い出せないんですが、同じような時期に大学院に入って人類学をやり始めて、最近は研究会も一緒にやったりしていて、非常に親しくしていただいている人類学者のおひとりです。まず、深田さんがパプアニューギニアをフィールドにしたのは、どういう経緯だったんですか。

深田 人類学者として自分のフィールドを決めるときに、大きく分けるとふたつ傾向があると思うんですね。ひとつは、ある地域にすごく興味がある場合。もうひとつはテーマが先にある場合です。ひとつ目は、例えば自分の場合ですと、ニューギニアにすごく興味があったからニューギニアに行きたいと思って行ってみたとか、あるいは松村さんがそうかもしれないですけど、アフリカに行きたいと思ってアフリカに行ってみた、というような場合ですね。まあ、松村さんがそうだったのかはちょっとわからないですけど。

松村 いや、僕はたまたまです(笑)。

深田 自分の場合は、ふたつ目のほうで、ニューギニアが好きでニューギニアに行ってみたというより、わりと最初からお金のことを調べたいと思ったんです。「お金」というテーマが先にあって、お金について何か面白いテーマはないかなと思っていたんです。
 それで僕が大学院生の修士課程だった1999年か2000年頃に、フィールドをどうしようかなとインターネットで色々調べまして。当時はまだインターネット回線がダイヤルアップでピー、ガーといっていた頃でしたが、太平洋の国々の新聞記事を集めているハワイ大学のサイトを見つけまして、そこに、いま自分がフィールドにしているニューギニアのトーライ社会というところで、それまで伝統的に使われていた貝殻のお金を法定通貨にする、という記事が出ていたんです。これは何か面白いことが起こっているぞ、とそのときに発見したのが最初の出会いです。
 当時は修士課程で調査に行くお金もなかったので、とりあえず修士論文を書くために先行研究があったらいいなと思って調べてみると、トーライ社会のあるラバウルは先行研究が多かったので、ここをフィールドにしようと。それで博士課程に進学してからパプアニューギニアのラバウルをフィールドに決めた、という経緯なんです。

松村 貝殻が法定通貨になるって、貝殻の貨幣を国が法律で正式に流通する貨幣として認める、ってことですか。

深田 国ではなくて、州ですね。ニューギニアには州が21あるんですけど、そのなかのひとつの東ニューブリテン州の州政府が法定通貨として認めたと。研究するきっかけになったその記事は、正確には、貝殻を法定通貨として使用していくための調査を開始した、みたいな内容でした。

松村 貝殻の貨幣って、近代的な行政とか市場とはまったく無縁のもの、人類学でも原始貨幣と言われて、いわゆる「未開な人たち」が使い続けているお金、というイメージがあるんですけど、パプアニューギニアではそうではなさそうなところが面白いですね。そもそも、トーライ社会というのは、パプアニューギニアのなかではどういう位置付けにあるんですか?

深田 貝殻のお金が法定通貨になると言うと、いまだに市場経済のない社会で、貝殻のお金ばかり使われている状況をみなさん想像するかもしれません。現金は全然使われていなくて、仕方ないから貝殻を法定通貨として認めよう、という順番をイメージするかと思うんですけども、実はそうではないんです。
 ニューギニアのラバウルって、みなさん聞いたことはある地名だと思うんです。太平洋戦争のとき、南太平洋戦線の一番大きい基地、司令部があったようなところで、日本軍がなぜそういう場所に司令部をつくったかというと、もともと港として非常に開けていたからなんです。ラバウルは19世紀後半からドイツの植民地下に入るんですが、当時から植民地における中心都市でした。
 ですからラバウル近郊に住んでいたトーライ人は、実はニューギニアのなかで一番エリートみたいな人たちだったんです。教育水準も高いし、お金持ちで、ニューギニアのなかでは市場経済に一番早くからなじんでいました。ですから「いまだに貝殻のお金を使っている」と言っても、貝殻のお金しか使ったことがないわけではなく、むしろ市場経済に一番なじんでいるトーライ人が、いまでも貝殻のお金を使っているところが面白いんです。貝殻のお金というと「まだ使っている」というイメージだと思うんですけど、そうじゃないんです。彼らは100年以上も前から「まだ貝殻のお金を使ってる」と西洋人に言われ続けてきたんですが、いまだって使っているわけですから、「まだ使ってる」という表現は違うんじゃないかと思いますよね。

松村 中央銀行が発行する普通のお金が流通したら、貝殻の貨幣なんてやがて消えるだろうと100年前からずっと言われてきた。でも、いまだに消えてない。ということは、その社会の人たちにとって、貝殻のお金はものすごく大きな意味があるんだと思いますが、実際にどういうお金でしたっけ? 一つひとつの貝殻は小さいんですよね?

深田 そうですね。ムシロガイという巻き貝なんです。一つひとつは、だいたいみなさんの手の爪ぐらいの大きさです。僕の指だとちょうど人さし指の爪ぐらいの大きさです。高さもせいぜい1センチぐらい。サザエを想像してもらうといいんですが、サザエの角のところをペンチでガリッと壊すと、お尻と穴が通じますよね? そこに藤の蔓を裂いてつくった紐を数珠のように通してつくられます。これが「タブ」という貝殻のお金になります。

松村 貝殻の1個がお金なのではなくて、貝殻がいくつか連なって、ある程度の長さで1単位になる、ということですね。

深田 そうです。基本的には長さで数えます。人が両手を広げた幅が1単位です。これは長さで言うと、1.8メートルから2メートルぐらいなんですが、あまり厳密には測りません。体が小さい人はピンと張って、大きい人はちょっとたるませて加減して、なんとなく1単位を決めています。

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松村 結構アバウトなんですね。例えば、その1単位のなかに貝が何個ぐらい入っているか数えたりしないんですか?

深田 現地の人たちは基本的には数えません。僕はフィールドワーカーなので数えるんですが、実際に数えてみると、1単位で大体300から400個ぐらいで、結構幅があります。ただ、貝と貝のあいだの隙間が空きすぎていたり、1単位として実際に渡したものがあまりに短かったりすると「こんなのだめだよ」と言われて受け取ってもらえなかったりするので、まったく基準がないわけではない。彼らのなかでやっぱり単位についてのある程度の合意はあるわけです。

松村 ジャラジャラと数珠のように紐でつながった貝殻の貨幣は、何に使うんですか? 何かと交換する?

深田 先ほども言ったように、彼らは早くから市場経済にはなじんできた人たちで、市場で買い物をしないわけじゃないし、お金を使わないわけじゃないんです。日常生活では、ニューギニアの〈キナ〉という法定通貨を使って暮らしています。でもカバンのなかには常に、この貝殻の貨幣のタブが入っていたりするんですよね。
 ラバウルはたくさんの民族がともに暮らしている大きな町です。というかパプアニューギニアは700とか800くらいの言語が使われている、恐ろしいほどの多民族国家で、トーライ人以外の人もたくさんの民族が住んでいるのですが、タブはトーライ人しか使わないので、町では基本的にキナだけを使うんです。そして村に帰ってくると、道ばたにちょっとした露店なんかが出ていて、そこでヤシの実とかタバコ、あるいは彼らがすごく好きなビンロウという口のなかが赤くなる嗜好品を、タブで買ったりします。村の露店では、キナとタブの両方が使えるんですけど、日常的にはそうやってタブを使っていますね。
 先ほど、このタブが法定通貨になると新聞記事に書かれていたという話をしましたが、具体的に貝殻貨幣のタブをどうやって法定通貨として使うかというと、例えば役所で税金を払うとき、あるいは学校の授業料を払うときに使うということですね。
 この貝殻のお金タブの1単位、つまり両手を広げた長さである1ポコノという単位と、パプアニューギニアの法定通貨であるキナの交換レートがきちんと決まっていて、この交換レートに従って支払いがなされる。例えば、ある男性の1年間の税金が10キナのときには、僕が住んでいた村では、1ポコノ(貝貨1本)で5キナになるので、10キナの税金を払うために2ポコノ(貝貨2本)で払われたりするわけです。

松村 役所は、その貝殻をもらってどうするんですか。

深田 貝貨なんて受け取っても使いみちに困るんじゃないかと思われるかもしれませんが、役所にはタブが貯まってはいかないんです。なぜかと言うと、みんな「タブが欲しい」からです。税金がタブで払われて、役所にタブが集まって貯まってくると、そこで噂が流れるんです。「いま、役所にタブが入ってきたぞ」って。そうすると、みんな現金をもってタブを買いにいく。すぐに貝貨が現金に変わる仕組みになっているんです。
 だから現金をもち合わせていない人は貝貨で払うけども、タブはみんな常に欲しいので、タブがあるとわかると、みんな現金で買いに来る。そうやって役所に入ったタブは2、3日のうちに現金に替わってしまうんです。

松村 貝殻がお金だったら、海岸に行って巻き貝を集めて自分で貨幣をつくり出す、みたいなことができちゃうんじゃないですか。

深田 みなさんによくその質問をされるんですが、実はこのムシロガイという貝はラバウルの近くでは採れないんです。まったく採れないことはないですけれども、基本的には採れない。しかも、昔から採れないんです。
 宣教師だとか色々なヨーロッパ人が、19世紀後半にニューギニアに来たんですが、彼らがそのことを書き残しています。トーライ人はニューブリテン島という九州と同じくらいの面積がある島に暮らしていて、ラバウルはその島の東北の端にあるんですが、ムシロガイが採れたのは200キロほど離れたこの島の中央部なんです。宣教師などの記録を見ると、トーライ人はカヌーで遠路はるばる遠征して、現地の人たちと交渉してムシロガイを採ってもらって、それをもち帰ってくるということをしていたんです。
 だから貝殻は、昔から、なかなか手に入らないんですね。しかも貝殻をこれまでたくさん採ってきたので、ニューブリテン島の中央地域のムシロガイは、60年代か70年代頃には大方採り尽くされてしまっています。で、そのあとはどうしたかと言うと、ニューギニアの隣国ソロモン諸島のニュージョージア島というところから、わざわざ輸入するようになりました。つまり、その辺の浜辺で貝殻を採ってくれば貨幣になるという簡単なものではないんです。この貝殻自体に希少価値があるのは間違いないんですね。

松村 簡単に採れてしまうようなものではなく、供給量が一定していて希少価値があるので初めて貨幣に使われたと考えていいんでしょうか。

深田 そうですね。パプアニューギニアを含むメラネシア地域では広く貝殻のお金が使われているんですが、それぞれの民族がそれぞれ違う種類の貝殻をお金として使っています。面白いのは、基本的にはどの民族も自分たちが住んでいない地域で採れる貝殻をお金にしているんですね。
 だから、昔からいろんな地域のあいだで交易をしていて、自分の地域で採れる貝は別の地域へもって行っていた。A地域の貝はB地域に行って、B地域の貝はC地域に行って、C地域の貝がD地域に行って、D地域の貝がA地域にくる、というように、お互いに自分たちが使わない貝を自分たちが使う貝と交換しながら、貝殻のお金ができあがっていったんですね。

松村 面白いですね。


強欲な老人が襲われる理由

松村 ところで「貝殻が集まってるぞ」という噂が流れるとみんな役所に集まるという話ですけど、貝殻のお金を貯めて何になるんでしょう? というか、何のために人びとは、そんなに貝殻のお金を欲しがるんですか?

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