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母の終活がかっこよくて、涙と感動が止まらない:Happy Mother's Day

こんにちは! 今日は、母の日ですね。私が住むさいたま市は、とても天気がよくて気持ちがいいです。今年も家族で母の日が祝えたことに穏やかな幸せと感謝を感じています。83歳の母は、目や腰にやはり年齢が出てきているものの、とても元気に動き回っています。未だに、つい「うるさいなぁ。分かっているよ!」と言えるほど(笑)。本当に幸せなことだと思っています。

今日は、そんな母の終活に向かい合う姿がかっいいというお話をさせていただきたいと思います。そんな時が来ると思うと喉が締め付けられるように悲しくなりながらも、彼女の生き様に改めて素直に感動をしています。

家の物などを片付けたり、保険、お葬式、貯金等を少しずつ整理している母は数年前から見てきましたが、なぜか架空の話のような気がしていました。それが、最近、母がお墓を決めたことで、急に「いずれ最期が来るんだ」ということがぐっと現実味を帯びました。

母が決めた自分のお墓は、実家から30分ぐらいの所にある、季節の花が咲き乱れる庭園のようなところでした。初めて連れて行ってもらったときは、去年のバラの季節で本当にきれいでびっくり。それから1年間、色々な所を自分で調べた結果、やはりこの庭園の中にある場所を選び、先日、正式に契約。そして、墓石に書く文字は、「いつの日かどこかで。ごきげんよう。」としたいとのこと。名前もローマ字でさらっと書くだけがいいのだという。

それまでは、「まずは感情を入れず事務作業と思って淡々とこなそう」と騎気丈だった私も、さすがにこの文字を見た時には、涙が止まらなくなってしまいました。そういう日が来るのが悲しいという気持ちと、なんてかっこいい母だろうと思う気持ちで、感動したという感情が一番正しい気がします。

母は、第二次世界大戦中に小学生1年生で、空襲で逃げ回った経験もありつつ、大好きな勉強をしている暇もなく兄弟の面倒を見て、結婚、私を出産、日本の高度成長の変化の波も経験し、そして子育てをしながら、家業であるお豆腐屋さんの仕事も手伝い、そして全部家事を終わらせた後にヨガに通ったりと、いつも本当に忙しく動き回っていたことを覚えています。

今でも不思議なのは、今のように様々な情報を得ることがあまり簡単ではなかった時代、私は「日本以外の国に出て勉強をしなさい。自立していれば自分が好きなように堂々と生きていけるから。」という考えの基、高校を卒業する私が自然と留学をする道にいけるように導いてくれました。それもあまり無理強いすることもなく。今考えると、私の性格を見て決めたことに加え、母自身の夢を託したのかもしれません。どちらにしても本当に感謝をしています。

何事にも自分の考え方を持っている母の性格を見ていると、彼女が若い頃の時代は生きずらいこともあったのではないかなぁと思います。きっと伸び伸びと自己表現できる世界になった時、それをできるスキルを私には身に着けてもらいたいと思っていたのでしょう。

それを考えると、自分のお墓も、父側の代々続いているお墓に入るのではなく、最期ぐらい自分が好きな場所にいたいと思ったことは納得です。そして、私が一人っ子ということもあり、「迷惑をかけたくない。きちんとしたい。」という気持ちで整理を淡々と進めている母に感動が止まりません。

「自分の足で最期まで進みたい。それが幸せ。」という母の生き様と小さな背中を後ろから見ながら、私も彼女の半分でも勇気とかっこよさが持てれば、人生も素晴らしいものだったと言えるのではないかと思いました。

とても思い出に残る2021年の母の日です。

取り留めのない文章を、最後まで読んでいただいてありがとうございました。

皆様がのびのびと喜びの多い日々を過ごせますように。Happy Mother's Day!

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