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『視線誘導』

澄んだ空気のなかでめざめたせいだろうか
ゆめから現への移行もまたなめらかにおもえた

研究所のナカもソトも森閑としている
校舎にはまだ誰もいないようだった

わたしの研究所は広いがよごれていて まいにち清掃しても快適とはほどとおかった

ベランダを水あらいしてぬれた床面にぞうきんを並べてみる

しろい布地に水分がしみこみ
たいようのヒカリで除菌されるのを待つのにもあきてくると
布のうえに腰をおろしてボーっと過ごしてみる

ひんやりした臀部で窓のソトをみやると
玲瓏な空に視界がひらけて
眼前の景色がみずみずしく彩られていき
はじめてみるような
驚きにみちあふれていることにきづく

無人校舎のむこうがわには
こがね色の麦畑がホをゆらしているのがみえる

とおくには赤色のモニュメントがある

だがそれはポストではなく
空をゆびさす巨大な手の彫像なのだった

ふいに金髪の男がベランダから顔をつきだしてきた

美しい顔だちをしているが
彫像をゆびさし 幼児語でまくしたてるのみなので
いっこうに解読できない

やがて研究所に複数の人がおしいり なにやら面談をはじめる

採用試験だろうか みしらぬ若者が質問ぜめにあっている真最中だ

だれかがベランダの雑巾にきづき なかまに目くばせした

いったいだれがこんなものをこんなふうに均等にならべたんだ ミズビタシじゃないか

となかまうちでアザワラウために

わたしはおそるおそるベランダから顔をおしだし

ジブンダガナニカ

と応える

かれは慇懃に会釈して いっぽにほとさがってさんぽめで爆笑

どうやらここはわたしの研究所ではなかったようだ

新人はもと神父だが
ここで映画を学びたいのだとアッピールしていた

若いのに海象のような口髭をたくわえている

ぜんたいどうしてかれを新人とよべるのか

わたしだって何もしらないというのに

しばらくするととしおいた女教師がここでのルールを説明する

校舎うらの白線をみだりにこえてはなりません

撮影用にセッティングされているから
ソソウがあってはならないのだとシツコク念を押す

それから新人といっしょに
研究所のおくに立てかけられた古い絵の説明をうけた

100号サイズのキャンバスには
この研究所の窓とわんきょくしたベッドがイビツな遠近法で描かれている

絵の三分の一ほどの高さには
うっすらとラインがきざまれている

この絵は一種のだまし絵になっていて
正面からみるとごくふつうのヘーメン作品だが
横からみた場合 ラインの下からほんもののベッドが突きだしているのだった

不治の病をわずらった作者は
こちらがわのベッドに寝転びながらむこうがわを描いていき
そのまま死んでいったのだという話

ついでわたしたちは校庭にでた

とおくにはくだんの赤いゆびさきがみえる

生徒たちはセイレツするのではなく
球充填の玉のようなかたちで女教師をとりかこみ
恋人のように耳を澄ましている

この学校は元陸軍軍医学校でした
おそろしい研究をたくさんしていて
おおぜいの人間が犠牲になったとききます
わたしたちはみな咎人の末裔なのです
それでもまえを向いて生きていかねばなりませんが

いつしかわたしは白線をこえ
麦畑をぬけ
あの彫像にちかづいていた

背丈より大きなゆびさきはなおも天をゆびさしている

このようなかたちで鋳造されては
彼方をみつめるいがいにないではないか

空には雲一つなく
すいこまれそうな青は海の骸のよう

わたしはふと
これは視線誘導ではないのかとおもいいたる

目線をおろすと
真紅の表にうりふたつのモニュメントがせまってくるようすが映りこんでいる

左手であった

右手があるのならどこかに左手もあって当然なのに
考えがおよばなかった

巨大な左手は わたしにおおいかぶさると
パーの形状をグーにきりかえた

目のまえが赤く濁ったきがした

視界がさえぎられる瞬間
右手のゆびさきがチョキにかわったようにみえた

赤い彫刻だとおもっていたものは 巨大な食中花だった

毎日ながめていたはずなのにどうしてきがつかなかったのか

むりもない

ここにきてはじめて知ったことばかりだったから

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