我が子に対して我々が最初にできること / ぐっち (後編)

 以前の記事にて、僕の視覚障害の病気が我が子に遺伝する可能性について書いた。
読者の方々の中には気にかけてくださっている方もおられるかと思うので、まず結果からお伝えしたい。
今回ひなちゃんには視覚障害の病気は遺伝しなかった。
この記事では、病気が遺伝しなくて良かったという単純な感想を伝えたいわけではない。
ひなちゃんの人生にとって、最初の大きな分岐点となった物語をぜひ最後まで読んでいただきたい。

 ひなちゃんが生まれてからの1ヶ月、頭の片隅ではずっと気になっていた。
「結果が出るまで約1ヶ月かかります」
7月にがんセンターで聞いた説明を何度となく思い返していた。
ひなちゃんが生まれて実際に我が子を目の前にしてから、僕の病気の遺伝に対する気持ちが少しだけ変化していた。
たとえ視覚障碍者としての人生を歩むことになったとしても、幸せに生きていくことはできるし、それが深刻なことではないという考えは今でも変わらない。ただ、病気にならないで済むならそれに越したことはないという気持ちが以前よりも大きくなっていたのは事実だ。
 先日ひなちゃんを2ヶ月の予防接種に連れて行った。喉がつぶれんばかりに泣き叫んで暴れるひなちゃんを、二人係で抑えて注射を受けさせるというのは、親として心が痛むものだった。その感覚に近いかもしれない。
もし遺伝すると特別な治療が必要になる。治療の中には痛みを伴うものや、苦しい思いをしなければならないこともあるだろう。それが自分事のように辛いと思った。
痛みや肉体的な苦しみは、避けて通れるならそれに越したことはない。予防接種は全ての赤ちゃんが通る道でも、小児がんの治療は少なくともそうではないのだから。
 これをきっかけに、親として子供の痛みや辛さを一緒に背負うということを真剣に考えた。我が子のことを客観的に見られなくなったという点では、親バカの始まりかもしれない。でもそれでいい。
我が子を目の前にして、願わずにはいられなかった。視覚障害になりませんようにではなく、我が子に降りかかる痛みや苦しみが少しでも少なくなりますようにと。
 こうしてひなちゃんは、我々とはまた違う健常者としての道を歩むことになった。
0歳にしてひなちゃんはもう、我々には見えない景色を日々見て生きている。

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