6 あきらめた先に見えたこと / ぐっち
妻を近くの大きな病院に送り届けた帰り道、何とも言えない抜け殻のような気持ちでふらふらと歩いて帰った。たった10分前までは入院なんて想像もしていなかった。今日も栄養剤の点滴をしてもらって帰るものだとばかりに考えていた。
看護師さんが入院しましょうかと言ってからの流れはもうあっという間だった。あれよあれよという間に看護師さんは妻を連れて病棟へ消えてしまった。
「コロナで今は面会はできませんので」
という言葉を残して。
毎日決められた時間に荷物を受け渡しに行く。僕にできることはそれだけだった。
「男は役に立たないぞ」
先輩の言葉がまたよみがえる。2回目。
とりあえず布団でも干すか。病院からの帰り道、春に変わりつつある暖かい日差しを浴びながらそんなことを考えた。
入院という突然の変化に一時は戸惑ったものの、今思えばそれはお互いの精神的には良かったのかもしれない。こんなこと口が裂けてもその時の妻には言えないが、少なくとも僕は一人で頭の中を整理する期間が必要だった。
いったん家に戻り、ずっと敷きっぱなしだった布団を干してから、妻が病院で生活する上で必要なものをひとしきり荷物にまとめる。スマホの充電器すら持って行っていなかったのだから。それを再び妻が入院する病院に届けたその足で、僕は神戸の実家に帰ったのだった。
妻の入院中はほとんどを実家で過ごした。病院への荷物の受け渡しはしていたが、それ以外に特に大阪の家に戻る理由もない。考えたらこれまで一人暮らしをしたことがなかったせいか、家に夜一人でいるというのは何となく落ち着かないのだ。
入院して5日ほど経った頃には、妻もだいぶ元気を取り戻していた。一人で病室からロビーまで移動し、電話で話す余裕も出てきていた。それまでのやり取りといえば、今日もなんとか生きてますという生存報告と、持ってきてほしい荷物の連絡のみ。それぐらい辛かったのだろう。
声を聴くと思った以上に僕自身も安心するもので、妻が退院した後の準備を少しずつ始めた。もっとも準備といってもほとんどは心の準備だったのだが。
退院の日は3月とは思えないほどの暖かさだった。病院の周りを吹く風の中にも、確かに春の香りがあった。
「季節変わっちゃったね」
家に帰る道中妻が言った。病院の中にいると季節がわからなくなるそうだ。それもそのはずである。温度管理もしっかりされていて、今日が暖かいのか寒いのかもわからない。風の匂いや太陽の暖かさで天気を感じている我々にとってはそれさえなくなるのだ。
そんな話を聞きながら、僕は幼児期の頃入院していた時のことをぼんやり思い出していた。外とは隔絶された寂しくて重たい病院の空気を。そんな世界から妻が戻ってきたことに心から安堵したのは言うまでもない。
それからは、少しずつではあるが妻が食べられるものも増えていった。お互いに試行錯誤は変わらなかったが、妻の食べられるものさがしに慣れてきたというのもあるだろう。食べられたら嬉しいし、食べられなかったらそんなものかと割り切る。そして次はどうするべきかと考える。
できないことに一喜一憂するのではなく、次に向けて割り切ることを身をもって学んだ期間だったと思う。
これこそが、今思えば親になるための最初の試練だったのかもしれない。赤ちゃんは、こちらの思うようになんて到底いかないのだから。
(続く)
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