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わがままな私の誕生日

志賀暁子、誕生日おめでとう。
この度、21歳になりました。

おそらく、志賀は今日、友人とお茶かご飯をしています。
本当はドライブの予定が、試験前でやばいとなった友人達との都合で予定をキャンセルすることになりました。5日前に。ちょっと恨んでる。ドタキャンした彼らじゃなくて、それぐらいやばい試験や課題を与えている大学に対して。

志賀は超わがままで寂しがり屋なので、一人で誕生日を過ごすのは絶対に嫌で、優しくてかわいい女友達を誘ってご飯をすることに決めました。4日前に誘ったのにも関わらず、OKの返事をくれた我が愛しの友人、ありがとう!大好き!!

21になりまして、20代の道を踏み出したけれど、まだまだ本質的には極めてガキです。子どもです。というか、いつまで経っても大人になれない気がしている志賀です。見た目だけはなんとか近づいているような気もするけれど。相当垢ぬけましたし(特定のとある人物が読んだら私の恨みの深さと根深さが分かってしまう台詞。)

大人になりたいと歳を重ねるたびに強く思ってしまうのは何故なのだろうと思います。
今日の誕生日も変わらず、私は大人になりたい。
だけど、それと同時に大人になり切れない自分もいて。
ちょっと複雑な気持ちがここにあるのです。

「誕生日」というテーマで「大人」と「子ども」の話をすれば。

誕生日を祝ってもらえるだけで嬉しいし、それは別にリアルタイムじゃなくてもいいって思っているんです。当日じゃなくたっていいじゃないですか。別に何でもない日にプレゼントをもらえることだって嬉しいから。別に矛盾しないものとしてそういう思いがちゃんとある。

でも、それでも、やっぱり。特別な日だから、他の人にも特別扱いしてほしいってどうしても思うんです。私は。
わがままだから。ずるいから。諦めが悪いから。
他の誰よりも幼い子どもで、ガキのままだから。

誕生日くらいは目一杯構ってほしいし、出来たら一緒に話したいし、一言おめでとうのメッセージが欲しいし、好きな人からは誕生日プレゼントが欲しい。

誕生日は特別だと正直思っている。本当に一人で過ごしたくはないし、出来れば今会うことは出来ない、私の大好きな人に一緒に祝ってほしい。遠くにいる彼らにこっちに来てもらうわけにはもちろん行かないから我慢するけど。でも、本当は一緒にいてほしい。
無理なのは分かってる。分かってるから、ここで言うのだけは許してほしい。

それぞれの日常の上で、時には会わないという選択肢を選んだり、それでもあえて会おうとしたり、そういう判断が出来るのが「大人」というものだと思っている。だから、仕方ないって思いたい。けど、やっぱりちょっとわがままな私が心の中にずっといる。


わがままな私の、ひとりぼっちにはならずに済んだ誕生日。

21になって、若さを言い訳にはこれから出来なくなっていく。
だから、早くわがままを無くしていかないとね。少しは大人にならないとね。
寂しがり屋で、子どもの私なんて早く消えてしまえ。
年相応に強くなって、早く大人になっていこうよ。
そんなことを今は切実に祈る。

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