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SF小説「ジャングル・ニップス」2−10

ジャングル・ニップス 第二章 オン・ザ・ロード

エピソード10  シカゴ


「そうだな、一度リセットしないと、危険かもしれないな。」

階段に近づくと、ヤスオさんがエースケさんにそう言うのが聞こえた。

エースケがポンポンと地面を叩き、ショーネンを横に座らせる。

「シカゴの街角で、四人のオッチャンがコーラスしているの見た話、オマエにしたっけ?」

「えっと。たぶん、まだ聞いていません。前に、シカゴで、ステンドグラスを見た話しはしてもらいました。」

「そうか。また同じ話しちゃうかもしれないけど。ちょっと話させろよ。」

エースケがペットボトルのお茶を飲み、ヤスオをチラリと見る。ヤスオは頷くと、エースケとショーネンを置いて席を外した。

ショーネンがそれを見て、説教でもされるのかなと少し身構えている。

「大丈夫だ心配すんな。オレが話したいだけだから。」

ショーネンもお茶を少し飲んだ。

「前も言ったと思うけどさ。オレ、当時な。何年前になるんだありゃ。とにかく、人の声が辛くてしょうがなくって。いや、マチコさんに、本当は誰でも聞こえているんだけど、それに気づけていないだけですって、教えてもらってから、まあ、普通に暮らせるようにはなってはいたんだけど。」

マチコさんはエースケさんの数倍聴き取れるということだ。

「そう。でもやっぱ、ちょうど今のオマエくらいの歳だよ。絵も売れねえし、色々と試したけど、仕事も続かなくて。ヤスオのアシスタントみたいなことして、それとマチコさんの手伝いしてな。まあ、絵画教室している以外は今も似たようなもんだけど。そうやってだらだら暮らしていたんだけど、三十二・三歳だな。限界だって思った。とにかく声に耐えられなくって、このままじゃだめだなって。それでさ、周りが英語だらけの場所なら変われるかもな、なんて安易に思ったのよ。」

エースケさんも何年かアメリカで暮らしている。

「金はさ、日本でちょこちょこ稼ぐなんて楽勝なんだよ。占い師やったらそりゃ客もついた。でもそういうのって、やっぱ魂が曇るっていうか、なんての、自分のことがキライになんだよな。」

ショーネンが頷く。

「それで、とりあえず、何でもいいから日本出てそれからだなんてな。馬鹿だよな。ヤスオに金まで借りてよ。ヤスオも分かっていたみたいで、足りなくなったら連絡しろよなんてよ。本当アイツには頭があがんねえよ。」

エースケが地面をいじっている。ショーネンは煙草に火をつけた。

「でもやっぱ、甘かったね。場所じゃねえんだよな。それと英語だと、言葉が分からないだろ。逆なの。余計に気が行っちゃうんだよ。なんて言うか、解るようで判らないだろ。分かることに慣れてたから不安になんの。不安になるから余計に集中して読み取っちゃうんだな。声の洪水。色んな国の言葉が溢れてんだよ。人だらけだ。その上、イメージで読み取っても、自分に余裕がないから、どう反応していいかも分かんない。着いてすぐ、もう、3日でクタクタになった。」

そういうものだ。

オレはアメリカに行ったばかりの頃、周りの子供が笑っているのか、オレを馬鹿にしているのか、半年ぐらいその違いすら分からなかった。

「だよな。それ分かる。それで、気が滅入ると人と付き合えないじゃん。世話してくれた友達のとこ出て、ホテルの部屋に一週間以上引きこもった。硬いカーペットの安いホテル。酒と食い物を買い込んで、テレビつけっぱなし。グッタリ一日中ベッドでケーブルテレビ見てんの。」

90年代後半だろうと思う。

まだ同時多発テロ前だ。

あの頃はまだ、MTVはミュージックビデオを流していたはずだ。

「そう、MTV。ロクな音楽流してねえの。それとCNNな。だから2・3日目くらいから、音はミュートにして、古い映画とか、あと、BETって黒人のチャンネル、あれつけっぱなしでラジオの音楽かけてたよ。」

そう言えば、エースケさんが車で聞くヒップホップは、90年代のグループが多い。

「なんでだろうな、BETのコメディードラマとか。セットとか、ファッションがカッコいんだよな。漫画っぽいんだけど、色がなんか絶妙にヴィヴィッドで。あと白人みているより不思議と落ち着いたな。」

オレもテレビばかり見ていた。

学校から帰るとクタクタで何も出来なかった。

「でもあれ、すげえ数の局だよな、ケーブルも驚いたけど、アメリカのFM。あれじゃ日本の有線だよ。街ごとにステーションが変わるし。ステーションごとに、ジャズ、クラシック、R&B。ロックだってメタルからフォークまでなんでもある。なんで日本もFMのチャンネルあのくらい増やせねえのか不思議だよ。田舎行ったら、カントリーのチャンネルとか、ゴスペルだけのとか。そりゃ、アメリカのヒップホップは無限に進化するよな。生まれる前から音楽の洪水に晒されてんだよアイツラは。」

どうやってシカゴに行き着いたんだろう。

「ああ、そうそうシカゴ。そうだ。シカゴブルース。ブルースの終着点。でも、エレキブルースの発祥の地とか、別にそういうのじゃなかったんだ。ただ、なんとかしようと思った、それだけ。アメリカ行ってテレビだけ見てきたなんてヤスオに言えないしよ。ニューヨーク離れようって決めて、グレーハウンドのチケット買ってシカゴに行ったの。」

長距離バスか。オレは経験がない。

「なんで、日本に帰ろうとは思わなかったんですか。」

「なんでかな。思いつかなかった。それだけかな。でもなぜか、シカゴ行ってみるかって思いついたんだ。クリーニングのオバちゃんに、心配されるのも疲れてたし。」

エースケは蓋を取ろうとしてやめ、川に向かってペットボトルを投げるような素振りをした。

「なんか、なんの話をしようとしてたか忘れちまったよ。」

その横顔をみて、ショーネンはエースケが50代であることを久しぶりに意識した。

ニューヨークとシカゴか。

たしか、どちらもピザが美味いって聞いている。

つづく。

ありがとうございます。