見出し画像

欠けた時点で潔く破棄したほうが親切というか、正しい判断なんでしょう。

小学生の頃からドラマや映画で
別れる場面でありがちな泣きついたり
復縁を迫ったり追いすがる人のことを
美しくないと思っていた。

【別れの時は清く、正しく、潔く。】

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


縁が切れた思っていた人。
しかも音沙汰一切なかった6年ぶりの連絡なんて

宗教かスピ系かマルチ勧誘だろ…と身構えて
駄目ならすぐ切ってしまえ!と思っていたら

電話で4時間も話していた。
自分が1番驚愕。こんなことあるのか。

というより、よく話すことがあったな。
冷静に振り返っても不思議。

  
綾瀬はるか似でほんわかしてる。
(以下 Eさんとしておこう。)

内面も容姿も良いだけでなく器用。
実技も筆記も何をやらせてもすぐできる優秀さで
学校時代、朝出席とる際の講師は
「竹内~、横田~、Eちゃ~ん」と1人だけ
ちゃんづけされるスペシャルなお気に入りだった。

そんな感じだけどEさんの発言は
見た目からはとてもとても想像がつかない
どストレートの豪速球を投げるから周りが
ギョッとすることも多かった。

聞いちゃいけないことは事前に伝えるのが周りの暗黙ルール。

そういう純粋な人だったな…と思い出し、
何気なく何故今回連絡をくれたのか?問うと

特別な用件はなく
単純に会いたい、話したいと
自分に対して思ってくれていたらしい。

一切想像していなかった答えにまた驚かされた。
思わず笑ってしまった。

疑ってごめん…って心の中で土下座した。
自分の小汚なさを恥じた。

だって正直、自分に会いたいなんて
思ってくれる人いないと思ってた。
(絶好調に自己肯定が低い)

用件がなくただ会いたいと言われることは
自分にとって物凄く大きなことで
ただただ、存在を肯定してもらえたように感じる。

人間関係が変化しやすい年齢で
関わりがどんどん途切れてゆくのも
人生の多様化でごく自然なことだと。


流れに逆らうのは好きじゃないから
関係が切れても無理矢理繋ごうともしなかった。 


自分はあの人の《人生》の中での役割を
終えたのだ。仕方がない。

だって必要じゃないんだもの。
遠ざかっていく人達を私だけが忘れられない。

自分を覚えててくれて
単純に話したいと思ってもらえる、
こういうことも稀にあるのかと。

切れたとしても縁があればまた自然に繋がることもある。

もしかしたら、を楽しみにしてみよう