砕けた理想、ある時代の終焉 本田靖春『不当逮捕』

日本史を学校にて勉強する際に近現代史があまりにもお座なりだという話をよく聞く。今の日本政府自ら煽った嫌韓ムードを見るに、その指摘は100%正しい。私は高校で日本史を選択したが、結局歴代の総理大臣や主だった問題・事件をひたすら暗記して終わった。しっかりと因果関係を確認しながら近現代史を学んだのは、大学に入ってからである。

そんな不毛な暗記の結果「意味は知らないが言葉だけは知っている」という事柄も多数あり、「疑獄」もその一つだった。当時の教科書にも疑獄という言葉が何を指しているのか記載はなく、ただその言葉の響きだけが頭に残っている。今で言うならば、森友学園問題などは典型的な疑獄だ。

近現代の日本の主な疑獄事件といえば、まずは昭電疑獄であろうか。この疑獄事件は当時日本を占領していたGHQ内(G2とGS)の主導権争いが日本の国内問題として浮上したものであることは、松本清張『日本の黒い霧』などで既に明らかである(『日本の黒い霧』には現在では明らかに誤った推論が展開されているものもあるが、昭電疑獄について大きく間違っているという指摘は見たことがない)。そしてその次が造船疑獄である。時の政権与党・自由党の幹事長で後に総理大臣となる佐藤栄作の逮捕まであと一歩、と迫った東京地検特捜部の捜査を阻んだのは、法務大臣・犬養健による指揮権発動であった。この捜査が進展していれば、後の歴史は変わったかもしれない。なお昭電疑獄では芦田内閣が、造船疑獄では吉田内閣がそれぞれ退陣している。森友学園問題では、内閣はおろか役人すら一人も起訴されずに終わってしまった。

本書『不当逮捕』の主人公の一人である立松和博は、読売新聞社会部の記者として上記の二つの疑獄事件において「特種」記事を連発し、一躍名を馳せたいわば「花形記者」である。そんな彼が結核の療養のため退いた一線に再度返り咲いたのは、1957年の売春汚職事件となる。しかし、この時彼が注目を集めたのは「特種」をすっぱ抜いたからではなく、執筆した記事に対し名誉毀損で告訴され、東京高検によって逮捕・拘留されたことによってである。本書は、そんな立松が逮捕されたという一報を筆者・本田靖春が電話で受けた場面から始まる。

本田靖春は『誘拐』『疵』『私戦』などノンフィクションの傑作を残した作家であるが、元は読売新聞社会部の記者で、立松の直接の後輩に当たる。その本田による本書は、ただ「不当逮捕」を行った検察の横暴を描き出すのみに留まらない。その起源を戦前にまで遡る検察内部での派閥争いや、逮捕を巡る読売新聞をはじめとしたメディアの対応、読売社内での煮え切らない反応、そして個人的に親しい仲にあった本田だからこそ書ける立松和博という人間の公私にわたる姿と、1冊の本の中に実に多彩なトピックが含まれている。そしてそれらが複雑に絡み合い、大河ドラマのような因縁を生み、立松という人間に起こった悲劇の形をとって終着地点へと向かっていく。

本書は本田による立松へ向けた鎮魂歌であるが、失われてしまった時代への弔辞でもあり、またそれはこの国の戦後の理想とその失敗を雄弁に語っている。この国はどこで失敗したのか。いつ間違った道を進むことを選んだのか。その一つの答えがここにある。


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