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YURIホールディングスPresents プレイヤーズヒストリー 稲葉修土編

もしかしたら、広告代理店でバリバリ働くビジネスマンになっていたかもしれない。そんな自分は十分にイメージできる。しかし、プロサッカー選手の道へと進む決断を下し、今は秋田の地で毎日ボールを追い掛けている。

「あの時にサッカーというものから1回離れようとしたからこそ、今の自分が凄く幸せで、なかなか他の人では経験できないことが自分は経験できていますし、あの選択は本当に自分でも良かったなと思っています。幸せな選択でした。まったく後悔していないです」。ブラウブリッツ秋田のダイナモ。思考する男。稲葉修土は日々を100パーセントで生きることで、自らの選択を正解にしてきたのだ。

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稲葉 修土(いなば しゅうと)
1993年6月29日生、大阪府出身。
2021年、ブラウブリッツ秋田に加入。
ポジションはミッドフィルダー。
https://twitter.com/sinaba0629
https://www.instagram.com/shutoinaba0629/

2級審判員の資格を持っていた父親に連れられて、稲葉少年は小さい頃からサッカーの試合を、間近でよく見ていた。ある日のこと。Jリーグの練習試合に同行した際、人生で初めてプロサッカー選手に握手をしてもらう。「ヴィッセルの試合に行った時に、三浦知良選手に握手してもらったのはよく覚えています。まだ幼稚園生ぐらいで、2日間ぐらい手は洗わなかったですね(笑)」。スーパースターの姿が、とにかくカッコよく見えた。

5歳から始めたサッカーも、決してエリートコースを歩んできたわけではない。「みんなが憧れる場所だったので、ジュニアユースはガンバとセレッソのセレクションを受けに行ったんですけど、どちらも1次試験で落とされました。ガンバの試験の時は凄く調子が良かったのに落ちたので、『アレ、これはもうプロとか無理なんかな』と」。

中学生時代は大阪府トレセンの試験にも落ちてしまう。「自分がいた大阪市トレセンにも上手い選手がいるのに、その上に府トレセンがあって、関西があって、全国があって、それって広すぎるなと思ったので、その頃は一番プロが遠ざかった時期かなと思いますね」。悔しさ。もどかしさ。諦め。いろいろな感情が混ざり合い、引いていく。

高校進学に当たり、大阪に住んでいた稲葉はもちろん関西の高校を第一の選択肢に考えていたが、あるチームに練習参加したことが、結果的に運命を決める扉を開くことになる。「立正大淞南に練習参加をしに行く機会があったんですけど、その時の練習の雰囲気が『カッコいいな』と感じて、『凄く苦しいんだろうな』とは思いながらも、『ここでやってみたい』という憧れができたので、そこが一番の決め手でしたね」。15歳の少年は、島根県の強豪校へと進学することになる。

「今から思うと、自分のサッカー人生が一番変わったのは2年の選手権かなと思っています」。本人も言及する2年生の時に出場した高校選手権は、稲葉の名前を全国に轟かせるきっかけになった。立正大淞南高校の10番を背負い、ダイヤモンド型の中盤アンカーで守備に奔走。チームも次々と難敵を撃破し、とうとうベスト4まで勝ち上がる。

憧れの国立競技場は、意外と普通のピッチだった。「いざ立ってみると、もちろん試合前や試合後は『ああ、国立でプレーしてたんだ』とは思いましたけど、試合をやっている時はいつも通りのプレーをやろうとずっと思っていたので、そこまでプレッシャーは感じていなかったです。PK以外は(笑)」。

触れないわけにはいかない。準決勝はPK戦までもつれ込む。7人目。先攻の滝川第二高校のキッカーが失敗。決めればファイナルという状況で登場した稲葉のキックは、しかしGKにストップされてしまう。「実際にPKの場面は緊張し過ぎていたので、鮮明には思い出せないんです」。勝負は9人目で決まる。立正大淞南はここで敗退となったが、稲葉の存在は多くのサッカー関係者の知るところとなった。

高校卒業後は福岡大学へ。1年生から10番を託され、中心選手として全国大会でも活躍する。だが、将来を考えた時にサッカーに限定せず、いろいろな可能性を模索したい想いが、徐々に自分の中で膨らんでいく。

「3年生の終わりぐらいに、自分のキャリアをどうするのか考える機会があって、プロになった時と良い企業に入った時を比べて、『別にプロが人生のすべてではないな』と思って、自分でいろいろ調べているうちに、広告代理店に興味が湧いてきたので、『ここに入りたいな』という目標に対しての就職活動はやっていました」。4年生に進級すると、実際に希望した広告代理店から内定をもらう。この時点でほとんど稲葉の未来は、“バリバリ働くビジネスマン”だった。

サッカーの才能を惜しむ周囲の声は、耳に入らなかった。入れなかったと言い換えてもいいかもしれない。ある1人の“同級生”を除いては。「元Jリーガーの福嶋洋さんという方がいらっしゃって、その人が現役を引退されて福岡大に入学した年と、僕が入学した年が一緒だったので、同級生なんです。僕も本当はやっぱりサッカーをしたかったんですよ。でも、人生の安定や心配してくれる人たちのことも考えて、就職活動という道に進んだんです。たぶん福嶋さんはプロの生活を経験しているだけに、自分がそういう状態だったことを見破っていて、『本当にそれでいいの?』とずっと自分に問い掛けてくれていたんですよね」。

決断した。秋も深まる11月だった。「改めて『自分はプロサッカー選手になりたいんだ』と心を決めたので、広告代理店の方に電話して、『やっぱりサッカーをやりたいです』と伝えました」。安定より、不安定を選んだ。時期的なこともあってJリーグのクラブからオファーは届かず、稲葉の“就職先”はアルビレックス新潟シンガポールに。海を渡り、異国でプロサッカー選手のキャリアを歩み出すことになる。

当初は日本に戻ってくるイメージも、まったくなかったという。「英語も学んで、シンガポールの文化がどういうものなのかを知ったりして、ゆくゆくはタイとか、東南アジアの他のチームに行ければいいと思っていたので、Jリーグに行くというイメージはなかったです。3年ぐらい東南アジアでプレーしたら日本に戻ってきて、仕事をしようかなと思っていました」。

サッカーは至って順調。1年目から国内四冠に輝くと、2年目はキャプテンとして再び国内四冠を達成。生活面でも現地の友人ができるなど、人間的な成長を実感する機会も多く、充実した時間を過ごしていたが、元チームメイトの活躍が稲葉の心境に変化をもたらす。

「1年目に一緒だった河田(篤秀)選手がアルビレックス新潟に行ったので、『ああ、Jリーグに行くチャンスももしかしたらあるのかな』と思っていた中で、河田選手が実際に活躍したのが大きかったです。『やっぱりお世話になった方々を喜ばせられるのはJリーグかな』と。『1回はJリーグに行けるといいな』とは2年目の途中から思いました」。

決断した。「やっぱり1回は大学卒業時に声が掛からなくて、シンガポール経由でまた日本に戻ったので、『こういう選択肢も全然あるんだよ』というのは示したいなと。そういう選手の実力を証明したい想いはありましたし、今もそう思っています」。大学の先輩が強化部長を務めていた縁もあり、J3リーグに所属しているカターレ富山に加入。3年間の在籍を経て、今シーズンからブラウブリッツ秋田に移籍。自身もチームも初めてとなるJ2で、ここまで全試合に出場するなど、主力としてチームを牽引し続けている。

加入したブラウブリッツは、稲葉にとっても理想的な環境だったようだ。「自分はキャプテンをすることが多かったので、誰とサッカーができるかとか、チームメイトがどんな人かというのは、凄く大事にしたいなと思っているんですけど、みんな向上心があって、明るくて、良い環境なので、とにかく良いチームですね。腐る選手がまったくいなくて、熱量も相当高いですし、本当にこういうチームはなかなかないんじゃないかなと思います」。

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あの時。違う決断をしていたら、と思わないこともない。「実際にたぶん自分は広告代理店に入っていても、ある程度の成功はしているかなという自負があって、置かれた環境で100パーセントを出せるのは自分の性格かなと思っているので、どっちに進んでも良かったかなとは思っているんです。でも、やっぱりサッカー選手になるのは人生で1回しかないですからね」。

「僕は現状にとどまるのがあまり好きではないので、何かを達成したら次の目標を見つけるとか、日々成長し続けるとか、どこかにモチベーションを感じるような目標設定は常にしていきたいですね。あとは私生活でも、いろいろなことを知っていた方がカッコいいなと感じますし、そういう人に憧れてきたので、自分もそんな大人になっていければいいなと思います」。

プロサッカー選手であっても、ビジネスマンであっても、きっと大きくは変わらない。シンガポールでも、富山でも、もちろん秋田でも、きっと大きくは変わらない。『置かれた環境で100パーセント』。いつだって常に全力疾走。何をしていても、どこで暮らしていても、稲葉の生き方は、変わらない。

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文:土屋雅史
1979年生まれ、群馬県出身。
Jリーグ中継担当や、サッカー専門番組のプロデューサーを経てフリーライターに。
ブラウブリッツ秋田の選手の多くを、中・高校生のときから追いかけている。
https://twitter.com/m_tsuchiya18

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ピッチ上では語られない、選手・スタッフのバックグラウンドや想い・価値観に迫るインタビュー記事を、YURIホールディングス株式会社様のご協賛でお届けします。
https://yuri-holdings.co.jp/

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