見出し画像

YURIホールディングスPresents プレイヤーズヒストリー 才藤龍治編

中学時代も、高校時代も、自分より上手い選手の方が多かった。念願のプロサッカー選手になっても、J2のステージに辿り着くまでに、7年の時間を要した。だが、いつもこれだけは心に決めて、ここまで歯を食いしばって戦ってきた。「自分にできないことはやらない、自分のできることをやる、と。確かにできない部分をどんどん上積みしていくことも大事ですけど、ストロングを伸ばすことで一番チームに必要な存在になれるかなという想いはあります」。努力と執念の男。才藤龍治はいつだって、もっと前に、もっと上に、を貫き続けている。

才藤 龍治(さいとう りゅうじ)
1993年3月12日生、東京都渋谷区出身。
2021年、ブラウブリッツ秋田に加入。
ポジションはフォワード。
https://twitter.com/3ryu12s
https://www.instagram.com/ryuji_.11/

出身は東京都渋谷区。ある意味で日本の“ど真ん中”で育った少年時代から、少し周囲とは違う子供だった。「たぶん僕は特殊だったと思います。元々渋谷区は子供が少ないので、サッカーをやっている子供自体が少なかったですけど、その中でどんどんのめり込んでいきましたね」。小学校1年生で始めたサッカーがとにかく好きで、とにかく楽しかった。

中学生になっても、サッカー最優先の日常は変わらない。「修学旅行も1日遅れて行きました。その日が試合で、『それにはどうしても出たい』と親に言ったら、『先生に言ってあげるよ』と。試合に出て、ちゃんと勝って行きましたけどね(笑)」。放課後もすぐに学校の門をすり抜け、グラウンドへと向かう毎日を過ごす。

FCトリプレッタというチームで戦術的な部分も教わり、それまでよりもサッカー自体を深く知ることになったが、周囲のレベルも上がったことで、小学生時代は“キング”だった少年の鼻はへし折られる。「ずっと試合に出れるか出れないか、というラインでした。3年生の途中ぐらいからやっとスタメンで出られるぐらいだったので、苦しんではいたと思います」。

「でも、得意としてきたサッカーなのに、ここで挫けるのは悔しいなと。周りも同年代ですし、絶対に負けられないという想いはありました。昔からずっと負けず嫌いですね」。この時点でも小学生の頃から描いていた、プロサッカー選手という目標は、微塵もブレていなかった。

高校は東京の強豪校、成立学園に入学。ここでもスタートの立ち位置は、相当厳しいものだった。「1年生の試合でも、出られるのは4本目ぐらいからでした。成立は体育科とは別に、一般生でもサッカー部に入れる子がいたんですけど、サッカー推薦だった自分は一般の生徒と一緒に練習していました」。

「正直1,2年生の頃は、実力的にも出られないだろうと悟っていたので、自分たちの代になった時にどうやれば出られるか、を探っていましたね。性格的にも『とにかく今を頑張る』というタイプなので、コツコツやっていた感じです。『サッカーやめたいな』とは全く考えなかったですね。『ずっと続けてやろう』と思っていました」。自分と向き合い、努力の総量を増やし続けていく。

成立学園は個性的な指導者が揃っているチームだが、とりわけ宮内聡監督からは大きな影響を受けた。中でも、サッカー選手の方向性を決定付けてくれた言葉が忘れられない。「成立はパスサッカーで、上手い選手が揃っていた中で、『オマエは特殊な存在だろ』と。そのメンバーの中では確実に僕が一番下手なんですよ。でも、球際とか、走る所とか、気持ちの面は自分が一番強いと思っていたので、『その色を出していけばいいんだ』と宮内さんから言われたんです」。多くを求めず、強みを磨く。この教えは今でも才藤の根幹になっている。

宮内の指導もあり、3年時は右サイドバックのレギュラーを掴んだ才藤も、プロから声が掛かるレベルにはなく、東京国際大学へと進学する。当時はまだ創部3年目。埼玉県リーグに所属している段階だったが、入学してきたチームメイトを見て、確信する。

「『本当にイチから、自分の力でカテゴリーを上げていったらカッコいいな』という想いで入ったら、やっぱり1年生にそういう仲間が集まっていたんですよ。『オレの力で上げてやる』というような。それを見て、『ここでも戦えるな』とは思っていました」。ただ、大学でも最初の2年間は雌伏の時。ほとんどトップチームの試合には関われなかった中、関東2部リーグを戦っていた3年時のある試合で、一気に風向きが変わる。

「その頃はサイドバックのサブだったんですけど、駒澤大学との試合で『アンカーをやれ』って言われたんですよ。『アンカー?』って(笑) ただ、ヘディングも競り勝てるし、それがハマってボランチで使ってもらえるようになって。今度は相手のフォーメーションとアンカーが合わない試合で、フォワードで出たら点を獲れちゃったんです。そこから『オマエはフォワードだ』と(笑)」。今にも通じるポリバレントさがよくわかるエピソードだ。

結果的に4年時にチームは関東1部リーグまで駆け上がり、自身も絶対的なフォワードのレギュラーとして活躍。そのレベルでも通用する手応えは掴んでいたものの、なかなかプロからは思ったようなオファーが届かない。そんな折、年末に埼玉で開催されたFC琉球のセレクションに参加。一次試験を通過し、二次試験を受けようとしたタイミングでケガをしてしまい、失意の中にいた才藤に意外な知らせが届く。

「受かってたんです(笑) セレクションの合否通知が来たのがクリスマスかその次の日ぐらいで、ソワソワしながら待っていたら合格でした」。アマチュア契約ではあったが、常に上だけを見据えている男にとって、そこは大きな問題ではない。「絶対試合に出て、プロ契約してやるからいいやって思っていました」。2015年。才藤はFC琉球でJリーガーになった。

アマチュアJリーガーの1日は長い。午前中の練習が終わると、午後3時から8時まではコールセンターで電話のオペレーター業務を担当。自宅に帰るのは9時半過ぎ、という日々を過ごしていく。

「正直『こんなのプロじゃないな』って想いはありました。やっぱり自分のプレーだけでお金をもらって生活していけるのがプロだと思っていましたし、その時はJ3もできたばかりで、周りからも『一応Jリーグのチームだけど、まあアマチュアでしょ』みたいな感じの見方をされるじゃないですか。そこは凄く悔しかったですね」。

そんな環境の中で、ルーキーイヤーからリーグ戦27試合に出場した才藤は、オフの契約更改で念願のプロ契約を勝ち獲る。「サッカーで疲れた身体を休めたりとか、ケアしたりとか、自分で有意義に使える時間が増えたので、よりサッカーに打ち込めるようにはなったかなと思いますし、よりサッカーが楽しくなりましたね」。

画像2

沖縄での3年間は、サッカー選手としての地盤を固める上で、非常に大事な時間だったことは間違いない。「琉球は当時からずっとパスサッカーだったので、技術が本当に向上しましたし、プロの最初の3年間でああいうサッカーができたのは、自分にとって凄くプラスでしたね。それまでは身体能力任せでやってきた所があったので、最低限の技術を付けられた場所かなと。センターバックもフォワードも、サイドバックもやれましたし、その時の経験があるから今があると思っています」。

2018年に移籍したカターレ富山では、チームも個人もなかなか結果が出ず、その間に琉球がJ2昇格を果たすという悔しさも味わう。2年目が終わると契約満了を言い渡され、参加したトライアウトを経て、2020年に加入したSC相模原でシーズン中盤からレギュラーに定着すると、そこからチームは19戦負けなしでJ2昇格を達成。才藤も昇格に貢献した手応えを持っていたが、熟考の末にブラウブリッツへの移籍を決断した。

画像1

「もちろん迷いはありました。トライアウトで拾ってもらった身ですし、まだまだ相模原に恩を返さなきゃいけないと思ってはいましたけど、サッカー選手としての自分を考えると、やっぱりもっと成長したい気持ちはありましたし、吉田謙さんからも凄く熱心に誘っていただけたので、新たな挑戦という意味でチャレンジしました」。

プロ7年目にして辿り着いたJ2のステージ。“ようやく”と“まだまだ”が、才藤の中ではせめぎ合っている。「『やっとここまで来れたな』という想いもあります。プロに入ってから2,3年で、自分の価値を示せれば上に行けると考えていたので、J3が長かったなと。でも、J2の舞台に上がれたから満足している訳ではないですし、またここで1つ成長して、もう1つ上のリーグにも行きたいと思っています。やっぱり成功に向けての努力に関しては、ずっとやり続けたいですし、コツコツやることは変わらずにいきたいです。自分の強みを出し続けていくという感じですよね」。

いつも一番ではなかった。圧倒的な才能も、数多く見せ付けられてきた。言いようのない悔しさに、叫び出したくなるような日々もあった。それでも、諦めなかった。自分自身を信じることを。この努力の先に、まだ見ぬ新たな世界が広がっていることを。

ひたすら強みを磨き、それを自分の信じたチームに、最大限のパワーで還元する。きっとこの世界は、そういう男が報われるようにできているはずだ。

画像3

文:土屋雅史
1979年生まれ、群馬県出身。
Jリーグ中継担当や、サッカー専門番組のプロデューサーを経てフリーライターに。
ブラウブリッツ秋田の選手の多くを、中・高校生のときから追いかけている。
https://twitter.com/m_tsuchiya18

YURIホールディングスPresents プレイヤーズヒストリー
ピッチ上では語られない、選手・スタッフのバックグラウンドや想い・価値観に迫るインタビュー記事を、YURIホールディングス株式会社様のご協賛でお届けします。
https://yuri-holdings.co.jp/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?