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秋田との「縁」を繋いで

「今は7人制のサッカー『ソサイチ』をしています。一応『現役復帰』と言っていいのかわからないですけど(笑)」。

2017-2018シーズンにブラウブリッツ秋田に在籍、J3優勝の大きな立役者となりながら、突如として引退をした山田樹は、昨日、2021年11月17日から5日間の予定で秋田に来ている。
地元以外で唯一日本でプレーをした秋田との「縁」が、今も続いている。

現在所属しているチーム「プラムワン」は、ソサイチのリーグ「FOOTBALL 7 SOCIETY LEAGUE」に今季新規参入。関西2部リーグからのスタートながら、12月開催の1試合を残して関西2部Bの優勝を決めた。「ソサイチは全国リーグがないので、地域リーグ1部で優勝し、更に開催される各地域のチャンピオンチームによるトーナメントで優勝することが目標です。11人サッカーで言うと、地域リーグからの地域決勝リーグ、というイメージですね。JFLへの昇格というのはないですが」。
現在の山田にとってサッカーのルーティンは、週2回の練習に月1回の公式戦だ。
「ソサイチはサッカーとフットサルの言わば間のようなスポーツです。人数的にも、コートのサイズ的にも。基本的には足でボールを使って相手のゴールにボールを蹴り込む、というのはサッカーとは変わりませんが、コーナーキックがなくてコーナースローと少し違う。ボールも、ローバウンドボールなのはフットサルと近いけれども、大きさはサッカーと近い。間を取っていますよね」。

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ソサイチを始めたきっかけは2020年のレジェンドマッチにあった。「1ヶ月前に話をいただいて、せっかくやるんだったらと、本気で身体を絞って食事制限とトレーニングをみっちりやって」。3キロぐらい絞って臨んだそうだ。引退して3年。サッカーが嫌いになったわけではなく、時が経って痛みもなくなっていた。プレーするのもいいな、と思ったところで、ソサイチのチームが新たに関西にできるということを知り、自分でセレクションに申し込んだ。

京都サンガF.C.の下部組織の出身。立命館大学を卒業後、アルビレックス新潟シンガポールを皮切りに、ラオス、タイへ。2017年4月にブラウブリッツ秋田に加入しその年にはJ3優勝に貢献。しかし、翌年のシーズン終了後に引退を発表した。

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山田樹の引退発表は突然だった。
「精神的にしんどくなったというところが一番大きいです。怪我をして、原因もイマイチよく分からなくて、疲労が溜まっていると股関節に痛みが出る。良いプレーをできる状態ではない。ということが続いてリハビリから続いて、またメンバーに入って試合に出て、というエネルギーがわいてこなかった。この状態で来年もやるのは…」。実は、契約ももう1年あったが、気持ちが切れてしまった。

仕事の世界にも現役最後の1、2年間は興味があった。「指導者に全く興味がないわけでもないし、今後もサッカーに携わっていきたいと思っている中で、指導者よりもマネジメント側の仕事に興味を感じました。とはいえ、今も母校の高校で外部コーチとして関わってはいるんですけども。サッカー以外のこととも関わりたいと思ったんです」。
今は、大阪府で、障害者の自立支援のための生活サポートを主に行う企業に勤めている。その企業がイベント事業やスポーツマネジメント事業も行っており、2019年には「THE AKITA」という音楽イベントを秋田市で開催した。引退してまだ数ヶ月。企画書を自ら書き、上司に提案した。ひとりで秋田に来て、自らアポを取り協賛金を募ったり、チケットを買ってもらったりと、半年以上かけて企画から運営までを行った。「本当に大変でした。仕事って何?というところで、良い意味で何も知らなかった(笑)。いざ蓋を開けてみたらわかんことは多いし、経験したことがないことばっかりで手探りで聞きながら怒られながら。生活サポートの仕事もしながらだったので、なおさら大変で」。当日、台風で飛行機が欠便し、アーティストが来県が危ぶまれるなどのトラブルもあったが、無事成功させることができた。精神的に参ったが、良い経験ができたと思っている。
ちなみに、開催について秋田以外での考えはなかったそうだ。

2021年11月21日に開催される前山恭平引退試合の運営に、外部から関わっている。「昨年のレジェンドマッチで、引退試合をするというのを聞いていて、力になれることがあればいいですね、と話していました」。基本的にはリモートでクラブと連携を取りながら、参戦選手の調整や、営業などを担う。更に自発的に行ったのが、前山恭平インタビュー映像の制作だ。映像づくりは、引退後に新たに始めた。「1年半ぐらい、何かに手を出しては辞めて…ということを繰り返していましたが、これに関してはずっと楽しくできています」。少しずつ仕事になってきているとも言う。

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今後の野望を聞いてみた。「秋田でも引き続き何か活動をしたいと思っていて。何にでも興味があるんで。サッカーも、サッカー以外も。今は、ちょっとした村づくりをしたい(笑)。サッカーコートが真ん中にあって、周りにカフェや畑があって、バーベキューができて。子どもが集まれる場所が合ったり、伝統工芸品に触れられる機会があったり。サッカーと『何か』が体験できる場をつくりたいな、と思ってるんです」。
引退してすぐは何をやりたいということは明確になかった。まだまだ漠然としているが、ちょっとずつやりたいことが見えてきた。最近は秋田の空き家や古民家の情報を見ている。「一カ所いいところはあったんですけどね(笑)」。
もう1年は、今活動しているソサイチで日本一を目指そうと思っている。その先はこの“野望“を進めていくつもりだ。

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