YURIホールディングスPresents プレイヤーズヒストリー 半田航也編
このクラブのアカデミーで育った選手が、トップチームで活躍することの意味は、自分が一番よく分かっている。ブラウブリッツのために、そして秋田の子供たちのために、もっともっと活躍できるはずだと自問自答しながら、前だけを見据えて一歩一歩進んできた。
「自分が結果を出すことで、『ブラウブリッツに入りたい』という子供が増えて、ジュニアユースやユースに入ってもらう好循環ができたらいいですし、自分が活躍することによって、ブラウブリッツも秋田も盛り上がると思うので、僕が頑張ることが重要になってくると感じています」。
ブラウブリッツアカデミーの1期生。今シーズンから11番を託された半田航也の未来には、秋田サッカー界の明るい希望が目いっぱい詰まっている。
半田 航也(はんだ こうや)
1998年9月27日生、秋田県潟上市出身。
2020年特別指定となり、翌2021年にブラウブリッツ秋田に加入。
ポジションはフォワード。
https://blaublitz.jp/11-handa
https://www.instagram.com/handa_kouya/
サッカーを始めたのは潟上市のFCスティンガーというチーム。実は既にこのころ、“大先輩”との対面を済ませていた。「加賀(健一)さんは隣の小学校に通っていて、住んでいた地域が近いので、スティンガーのコーチと知り合いらしく、時折練習にも来てくれていたんです。もう慣れましたけど、最初は不思議でしたね。一緒に映っている昔の写真を見返しても、『凄いな。こういうことってあるんだな』と思いました」。今ではともに勝利を目指して戦うチームメイト。確かな縁を感じざるを得ない。
FCスティンガー時の、3歳上のキャプテンと監督。
もともと中学進学時に、ブラウブリッツへ入るつもりはなかったという。だが、違うクラブの練習へ参加した際に、県内の有望な選手たちがこぞってセレクションを受けることを知る。「僕は県の選抜にも選ばれていなかったので、自分のレベルが分からないところもありましたし、本当に『ダメもとでチャレンジしてみよう』とセレクションを受けたら、『受かっちゃった!』という感じでした(笑)」。結果は合格。立ち上がったばかりのブラウブリッツU-15の1期生に、名前を連ねることとなる。
チームメイトは全員が中学校1年生。紅白戦ができる人数も揃っていなかったが、周囲のレベルは高く、半田は実力が伴っていない自分に気付く。「戸惑った部分はありましたね。芳賀敦監督からサッカーに必要な戦術をイチから学ぶことはできたんですけど、小学生の頃に技術はそこまで学ばなかったので、試合にもなかなか出られず、難しい1年でした」。
学年が上がっても立ち位置は大きく変わらず、試合ではベンチスタートで途中出場が常。明確な自信を持てず、高校での進路も迷い始めたタイミングで、ある転機が訪れる。東北大会で準優勝に輝き、挑んだアカデミー初の全国大会。夏のクラブユース選手権大会だ。
「全国大会の前の遠征で、フォワードの子がケガをして出番が回ってきた中で、自分が鹿島アントラーズから点を獲ったんです。メチャクチャ嬉しかったですね。はっきり覚えていますし、特別なゴールでした。あの時はチームが本当に団結していて、全員が勝ちたいと思っていたので、そういう雰囲気も感じて『このチームでもっとサッカーしたいな。ユースに上がりたいな』と思えた大会でした」。
少しだけ芽生えた自信と、仲間との絆が、半田の進むべき道を照らしてくれた。熟考の末に、気の置けないチームメイトたちと昇格することを決断する。ブラウブリッツのU-18にとっては、やはりこの代が1期生。彼らがアカデミー史を語る上で、欠かせない存在であることは間違いない。
高校1年時には「地獄でしたね(笑)。もうどうしようもなかったです」と苦笑しながら振り返る出来事があった。秋口に開催されたJユースカップ。東京ヴェルディ、横浜F・マリノス、ヴァンフォーレ甲府が同居する厳しいグループに組み込まれたブラウブリッツU-18は、3試合で45失点を叩き込まれる。中でも横浜F・マリノスとの一戦では、1-21という衝撃的なスコアを突き付けられた。
ちなみにこの時の守護神は安田祐生。F・マリノスに21点を献上したのも、3試合で45失点を喫したのも、のちにプロサッカー選手となるGKだ。「安田選手ともよく話すんですけど、『まあ21点獲られても、プロにはなれるんだな』って(笑)」。そう笑う半田と安田が、J2を主戦場にするクラブでサッカーを生業としているあたりに、このスポーツの奥深さも見え隠れする。
半田にとって、そしてブラウブリッツU-18にとって大きな変化がもたらされたのは、彼らのアカデミーラストイヤーとなった2016年。現役を引退したばかりのある男が監督に就任する。熊林親吾。秋田サッカー界で知らない者はいない、Jリーグ出場383試合を誇る文字通りのレジェンドだ。
「親吾さんが監督になって、すべてが変わったと思います。でも、一番の変化は考えてプレーするという所ですね。あの人のプレースタイルがそうなんですけど、味方との連携も、守備の部分も、すべてに意味を持ってプレーしようと。パス1つとってもこだわりの強い方でしたし、1つ1つのプレーに対して厳しかったのは覚えています」。
ピッチでのプレーはもちろん、人としての振る舞いもきっちりと指導された。「一番言われたのは“当たり前のこと”というか、挨拶や礼儀に関してはたくさん言われてきたので、サッカーだけではなく私生活の部分でもいろいろと学べたことが一番大きかったです。親吾さんから学んだことはたくさんありますね」。長くJリーグの第一線で活躍してきた熊林との出会いは、半田の今にも小さくない影響を与えている。
1期生では小野敬輔がU-18からのトップ昇格を勝ち獲る中、「自分はまったく昇格しそうな感じはなかったです」と振り返る半田は、進路を決めあぐねていた。「就職か進学かで結構迷っていて、実業団でやるのかどうかみたいな感じでした。そのチームのスポンサーの会社で働いて、とは少し考えていましたね」。
結局、声の掛かった札幌大学へと進学することになったものの、「サッカーを本気でやりたい想いはありましたけど、『大学に行けば就職が有利になるかな』と思っていましたし、その半々で大学に進学しようと決めました」とのこと。もちろんプロになりたい気持ちはあったが、現実味はなかったのが正直なところだったようだ。
大学での4年間は、人としての幅を広げる意味でも大きな時間だった。初めての1人暮らし。上を目指す仲間との出会い。そして、何よりも自身の成長。「自分のことを自分で何とかする人間力は一番付いたかなと思いますね。サッカーに対しての責任感も増しましたし、大学生なので結局は自分次第じゃないですか。自分に負けないでどれだけできるかということを4年間貫き通せたので、成長できたかなと」。
2年時には全国大会も経験。確かな手応えを掴み始め、徐々にプロへの想いも募っていく中で、一番大事な4年生の春からまさかの事態が世の中を覆う。「コロナの影響で練習もストップしていましたし、試合もなかったので、なかなか厳しかったです」。一念発起して就職説明会にも参加してみたものの、やはり「コレは違うな」と実感。改めてサッカーを続けられる環境を模索する。
8月には九州で開催されたプロ志望の大学生が集い、各クラブのスカウトにアピールする合同トライアウトに参加すると、視察に訪れていたブラウブリッツの池田昌広スカウトも好評価。さらに、1ゴール1アシストと大活躍した天皇杯北海道予選決勝の映像をクラブに送ったところ、首脳陣もその実力を認め、半田の元に正式なオファーが届く。
「練習も参加していなかったので、『え?マジか?』って思いますよね(笑)。どういうレベルかも分からないですし、危機感もあって『ここからやるしかないな』と。でも、素直に嬉しかったです」。4年間の努力が自らの未来を切り拓く。一度は離れたブラウブリッツで、半田はプロサッカー選手という職業に辿り着いた。
Jリーガー2年生となる今シーズンは、背番号が40番から11番に変わっている。そこに強い想いが秘められていることは、ブラウブリッツサポーターならとっくに理解していることだろう。
「自分の前に付けていた久富(賢)選手が『付けてほしい』と言ってくれたので、11番を背負わせてもらうことになりました。その重みは自分なりに分かっているので、プレッシャーにはなりますけれども、そこまで受け止め過ぎずにやりたいとは思っています」。
「ただ、終盤のホームゲームの時に、試合が終わってから久富選手が涙を流している姿を見て、『本当に背負っているものが違うんだな』と感じましたし、『自分も責任を持ってやらなければいけないな』とその時にも感じました。だからこそ、ゴールという結果で自分の評価をすべて変えていきたいと思っているので、今年が勝負です」。
最後にこれからの目標を尋ねると、言葉がそれまでより少しだけ熱を帯びる。「目標はJ1で活躍することなので、そこに行くためにはまだまだ未熟で、やるべきことがたくさんあると思うんですけど、逆を言えば伸びしろがたくさんあるということだと考えています。自分は本当に今まで下から這い上がってきましたし、コツコツと継続するということには慣れているので、常に上を目指して、今やるべきことに集中して、キャリアを進めていきたいと思っています」。
なかなか試合に出ることもできず、自信を持てなかった中学生は、数々の人との大切な出会いを経たことで、たゆまぬ努力を重ねられる才能を開花させ、今は自分をこの世界へと導いてくれたクラブで、プロサッカー選手を続けている。
夢が叶うかどうかなんて、誰にも分からない。信じ続ければ願いが叶うなんて、誰にも言い切れない。でも、信じた誰かに夢や願いを乗せることは、きっと誰もができるはずだ。ブラウブリッツの新たな光。多くの人の想いを背負った半田航也の未来には、秋田サッカー界の明るい希望が目いっぱい詰まっている。
文:土屋雅史
1979年生まれ、群馬県出身。
Jリーグ中継担当や、サッカー専門番組のプロデューサーを経てフリーライターに。
ブラウブリッツ秋田の選手の多くを、中・高校生のときから追いかけている。
https://twitter.com/m_tsuchiya18
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