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YURIホールディングスPresents プレイヤーズヒストリー 久富賢編

不思議とどのチームに行っても、一番年下だった。日本のサッカーを牽引してきたベテランを見て、ワールドカップのピッチに立ったベテランを見て、いつもそのサッカーと向き合う姿勢から、多くのことを学んできた。そして今は自分が、あの頃の彼らのような立場になりつつあることも、十分に理解している。「チームの中では在籍も長い方ですし、今までベテランの選手たちに教わってきたことを自分がやらないといけないと思いますし、そういう意味でチームを引っ張っていきたいなという想いはあります」。誰からも愛される男。久富賢の存在は、ブラウブリッツ秋田にとって絶対に欠かせない。

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久富 賢(ひさとみ けん)
1990年9月29日生、佐賀県唐津市出身。
2016年、ブラウブリッツ秋田に加入。
ポジションはミッドフィルダー。
https://twitter.com/hisatomi_ken11
https://www.instagram.com/ken.hisatomi/

久富の代名詞と言えば、サポーターを沸かせる圧倒的なスピード。その武器を育んだのは環境だった。「実家の裏側に海があって、学校が終わってから犬の散歩がてらに海に行って、犬と一緒に追いかけっこをしていました。本当に家から2,3分ぐらい歩いたら砂浜があるんですよ。サッカーがない時は毎日行って走っていましたね」。もともとは長距離が得意だったが、小学校6年生ぐらいから急に短距離の才能が開花したという。

普通のサッカー部に在籍していた中学校2年生の冬。のちに袖を通すことになるユニフォームと、運命的な出会いを果たす。「福岡県の選手権準決勝を見に行ったんですよ。そこで東海大五の黄色と黒のユニフォームがカッコよくて。その時に思ったんです。『アレ、着たいな』って」。セレクションの参加者は200人以上。その中から見事15人に選ばれ、地元の唐津を離れて寮生活をスタートさせる。

インターハイや選手権に縁のなかった久富が、唯一出場した全国大会が2年時の高円宮杯。柴崎岳や藤本憲明、高木善朗らとも対戦した中で、実は意外な人物とも同じピッチに立っていた。「この前知ったんですけど、リュウ(飯尾竜太朗)に『え、東海第五なの?高円宮杯でやってるじゃん』って言われて、『マジか?あの時いたんか?』って」。試合は3-2で東海大五が、飯尾の在籍していたヴィッセル神戸U-18に勝利。14年前の西が丘で、2人の人生が交錯していたのも面白い。

Jリーグのクラブから練習参加の打診が届いたのは3年生になってから。高円宮杯でのプレーを、横浜FCのスカウトが見ていたことがきっかけだった。2度の練習参加は本人も手応え十分。すると、秋口に高校の監督から呼び出される。「『なんかやらかしたんかな?』と思って(笑) そうしたら『正式にオファーが来たぞ。行くか?』と言われて、『行きます』と」。2009年。憧れていたプロの世界に足を踏み入れた。

横浜FCでは日本サッカー界のレジェンドと交流を持つ。三浦知良。カズである。「カズさんは自分の母親と同い年なんですよ。それを知ったカズさんから『トミ、オレのことをお父さんと呼べ』って(笑) あとはカズさんって移動の時はいつもサングラスを掛けているんですけど、アウェイ遠征の時の空港で『オマエ、これ掛けて歩けよ』と言われて、僕がそのサングラスを掛けて歩いていました(笑)」。

カズの日常からも大きな刺激を受けた。「とにかくサッカーに対するモチベーションが全然違いました。一番最初にクラブハウスに来て、絶対に一番最後に帰るんですよ。1日をサッカーだけに使っている感じですね。筋トレとか体幹もちゃんとやりますし、食事だったり、交代浴だったり、毎日一緒のルーティンがあって、『そのぐらいしないとスター選手になれないのかな』とは実感しました」。今でも彼の背中は、追い掛けたい模範になっている。

松本山雅FCでは日本屈指のセンターバックと交流を持つ。松田直樹である。「マツさんもカズさんみたいな存在ですよね。ドリブルの緩急の使い方はよく言われていました。『オマエは勝負できる時に100パーセントの力を出せ』と。1対1もたくさんやって、いろいろ指導してもらえたことがメチャクチャ嬉しかったです。ゴハンにも結構連れていってもらって、そういう時もサッカーの話ばっかりしていましたね」。

忘れられない試合がある。2012年8月5日。前年の夏に急逝した松田の“一周忌”と位置付けられた、リーグ戦のホームゲーム。久富は1点ビハインドの77分に投入されると、80分に同点弾を決める。「シュートを打った時に『あ、入ったわ』みたいな感じでした」と振り返るそのゴールは、記念すべき自身のJリーグ初ゴール。スタンドも、ピッチも、沸騰した。「あの試合は絶対勝ってやろうという想いがありましたし、もう上を向いて、ゴールをマツさんに捧げていました」。感謝の想いを形にできたことが、何より嬉しかった。

藤枝MYFCでは10番を背負うなど、主力としてプレーしたことで、試合に出て得られるものの重要性を痛感する。選手としても、人間としても大きく成長を遂げた3年半を経て、さらなるチャレンジを決意。「岩瀬社長が何度も電話してくれて、その熱意が伝わって、『秋田のために戦おう』という気持ちが強くなったので、もう『お願いします』という感じでした」。2016年に秋田の地へと辿り着き、今年で在籍年数は6年目を迎えている。

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いろいろなチームを見てきた久富は、ブラウブリッツの良さをこう語る。「本当に選手の仲が良いんですよ。それは初めて来た時に、もう感じました。それから新しい選手が来てもそうなので、凄いなと思います。何なんですかね?僕みたいに人が好いからじゃないですか。それはないですけど(笑)、もともといた選手が溶け込みやすいようにしてくれていたので、みんな仲が良いという感じですね」。

「この仕事をしている限りは、ずっと一緒の選手ではやれないじゃないですか。でも、自分が来る前からチームを支えてくれた選手やフロント、スタッフの方々がいたからこそ、僕たちは今でもサッカーをやれていますし、その人たちみんなで勝ち獲ってきた昇格や優勝なので、それを忘れてはいけないなと思いますね。間違いなく今まで在籍してきた選手たちのおかげで、ブラウブリッツがどんどん強くなってきているはずですから」。熱い想いが零れ落ちた。

聞けばチーム屈指のイジられキャラ。本人にもその自覚はある。「いつもナメられてます。でも、普通にしていても自然と笑いになっちゃうので、逆に良いのかなって。イジられたら、みんな笑ってくれるみたいな感じです(笑) いることに意味があるのかなと思いますし、僕がいるからこのチームは成り立っているみたいに考えてますけどね。あ、それは嘘なんで(笑) 書かなくていいですよ」。あ、書いてしまってごめんなさい(笑)

ベテランに求められる役割は様々だ。これまでに得てきた経験を、チームメイトに還元する。リーダーシップを発揮して、チームを引っ張っていく。それと同時に、グループの雰囲気をより良くしていくことも、大事なミッションではないだろうか。その方法はきっと個々のキャラクターによって違う。でも、一番大切なのは、自然と周囲に人が集まり、自然とポジティブな空気が醸成されること。これって簡単そうで、誰にでもできることではない。

三浦知良みたいでなくていい。松田直樹みたいでなくていい。ブラウブリッツ秋田には、久富賢がいいのだ。

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文:土屋雅史
1979年生まれ、群馬県出身。
Jリーグ中継担当や、サッカー専門番組のプロデューサーを経てフリーライターに。
ブラウブリッツ秋田の選手の多くを、中・高校生のときから追いかけている。
https://twitter.com/m_tsuchiya18

YURIホールディングスPresents プレイヤーズヒストリー
ピッチ上では語られない、選手・スタッフのバックグラウンドや想い・価値観に迫るインタビュー記事を、YURIホールディングス株式会社様のご協賛でお届けします。
https://yuri-holdings.co.jp/

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