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海外特派員までの経緯 ~これからメディア就職を目指す方々へ~

質問箱やDMで学生の方から、就職についての質問を受けることも多くなりました。過去の回答が分散して、少し見にくくなっていたので、noteでリライトしておきます。今後の進路の参考になれば幸いです。

質問への回答

こんにちは。メディアの仕事に興味を持っていただき、ありがとうございます。人生の岐路ですから、迷う気持ちはとってもよくわかります。(少し長くなりますが、人生にかかわる大事な話なので丁寧に書きますね)
私は理系出身で、大学では99%の人が大学院に進学する環境でした。
私だけが学部で就職、しかもメディアに…という状況だったので、とっても迷いました。あの時、大学院に行って研究を続けていたら、私の人生はどうなったかなと時々思います。
けれど、大学の時の進路選択は今も後悔していません。普通の人が行けないようなところに行って、会えないような人に会えて、そして、毎日違う事ができる楽しい仕事です。

メディア就職を目指したきっかけ

一番のきっかけは、2001年9月11日の同時多発テロでした。
当時、大学の寮にいてあの2棟の高層ビルが崩れていく様子をテレビ中継で見て、なぜこんなことが起きてしまったのか、現場はどうなっているのか、アフガンでは何が起きているのかなど興味を持って、色々と調べました。
半年後、初めて自力で国際航空券を取り、個人的にアメリカ・NYに行きました。
まだ瓦礫が折り重なっている現場。半年経ってもなお燻る焦げ臭い匂い。無数に貼られた行方不明者の写真。祈りを捧げる人々。今でも忘れない光景です。
国際ニュースの現場を自分で取材したい、それを伝えたい。それが原点です。

ただ、寄り道もしています。
ボロボロになっていた航空業界のその後にも興味を持ち、業界や企業の研究などをした時期もありました。
進路を選ぶ中で、何人か実際にそれぞれの業界で働いている方にも話を聞きました。理系の私がどうしたら、異なる分野で役に立つのか、自分の強みについて分析を繰り返しました。

日本テレビへの入社と2度の海外赴任

一番最初に行われたテレビメディアの選考が、たまたま日テレでした。
何社か並行して受けていましたが、接した先輩たちや同期たちのキャラクターも好きでしたし、最初に自分を選んでくれたことに縁を感じて、今の会社に入りました。
けれど、入社後はしばらく国内ニュースを扱う社会部などからスタートなので、急には国際ニュースに関われませんでした。

2010年 延坪島砲撃事件を伝える中継現場

初めての本格的な海外取材は入社して6年目です。
韓国の延坪島が北朝鮮に砲撃される事件が起き、そのときニュース番組「NEWS ZERO」のディレクターとして取材クルーを伴って韓国入りしました。当時、ソウルで今の私のポストにいた先輩の仕事を傍らで見ていて、「これだ!」と思いましたね。海外特派員をやりたいと、事あるごとに上司に伝えました。

2012年11月 習近平指導部が発足した共産党大会 取材後(封鎖された天安門広場)

その2年後、北京特派員としての赴任が決まりました。裏で私を推薦してくれたのは、延坪島取材でお世話になったあの先輩でした。
休み無く飛び回って、最高に充実した4年間の北京での記者生活を過ごし、いったん帰国。
国内で番組ディレクターや政治部の記者を経て、2度目の海外赴任を希望し、ソウル赴任のチャンスをもらった、そのような経緯でここにいます。

もちろん、つらいこともたくさんあります。自分がつらいだけでなく、人様のつらい現場にたくさん立ち会い、取材をしなければならない時は、やはり心が重くなります。

質問者様が良い未来の選択ができるよう、応援しています。
少し重なる部分もありますが、以下も参照ください。

もともと生物学が大好きで、学者とか自然科学分野の仕事を目指していました。大学では農学部に進学し、バイオサイエンスを中心に学びました。
大学生の時に同時多発テロ9.11があり、国際ニュースに興味をもつようになりました。同時にエアラインの仕事にも。
どちらも、OB訪問をしたりと本格的に就職活動をしていましたね。最初に内定をくれたのが今の会社です。もう時効でしょうけど、隠れてエアラインの試験も受け続けていました。
最終的にはテレビ局を選択しましたが、後悔していません。普通の人が行けないようなところに行って、会えないような人に会えてしまう、そして、毎日違う仕事ができる楽しい仕事です。大好きな飛行機も乗客として楽しんでいますし、理系知識も実は今の仕事でも結構役に立っています。
NEWS ZEROでディレクターをしていたときに、宇宙とか、感染症の紹介をしたり。最近だとコロナの原稿を書く時に、役に立っていました。PCRなんて、毎週のように使っていましたからね。
北京赴任4年、その後も韓国赴任と海外での生活を経験させてもらっていることも、ありがたいですね。

まず、この仕事にご興味を持ってくれて、そして憧れてくれて、とっても嬉しいです!ありがとうございます。
特にソウルの特派員は、性別による差はほとんどないのではないかと思います。イスラム圏だと行動に制約があったり、治安が悪く注意が必要な地域もありますが、アジアは問題ないです。

最初の海外赴任は、北京。苦労もありましたが、本当に楽しく充実した4年間でした。(映画『タクシー運転手』の質問で少し当時の様子を書きましたので、良かったら読んでください) →自己紹介noteに引用有り

ソウルもいつかはと思っていたので、希望が叶った時は嬉しかったですね。会社によりますが、うちの場合は、特派員としての派遣はだいたい2か所です。ここが最後の海外の活動の場だと思いますので、全力で楽しみながら仕事をしています。

もし、進路のことなどで悩んだり、直接話を聞きたいなど希望がありましたら、お気軽にDMなどで連絡ください。ソウルでも留学生に進路アドバイスをすることが時々ありますので、少しお役に立てるかもしれません。

こんにちは。テレビ局を志望してくれて、どうもありがとうございます。
報道と制作で分野は異なるとしても、目指すところは同じです。
新しいコンテンツを生み出すこと、見たことがない映像を届けること、見た人の心を動かして喜びや心の潤いを与えること、真実を伝えること、そして結果的に世の中を良くすること…。

同じ業界に入られたら、一緒に頑張りましょう!
これから入ってきてくれる方々には、既存のテレビの枠にとらわれない新しいアイディアも期待したいですね。

こんにちは。お手紙ありがとうございました。しっかり読ませていただきました。私が考えて行っていたことを、こんなにも理解してくださっている方がいるのだと思って、とっても嬉しくなりました。

ここ数年、実は私もすごく悩んでいました。
自分が制作するVTRや書いている原稿は、果たして必要な人に届いているのだろうか、きちんと見てもらえているのだろうか、と。放送という形でテレビを見ない人もどんどん増えていますから、On Airという文字通り、虚空に一方的に流しているだけなのではないか、と。
毎分グラフといわれる視聴率の折れ線が、わずかに上下するのに一喜一憂してきました。ごくまれに直接の意見が視聴者センターやメールに届くこともありますが、その多くはネガティブなものでした。

視聴者や情報受領者の皆さんとの間の、壁をどうにかしてなくしたい、距離感を縮めてニーズをくみ取りたいと思い、SNSを始めてみました。
まだ、私は入り口にいるだけですが、少し可能性は感じています。すでに、実際にSNSで知り合った方に実際に取材して放送したり、提供していただいた情報を放送に生かしたり、放送の内容についてSNSでいただいた意見を反映させたり…。

きっと私が主にやっている韓国分野以外にも、他の国際情勢、政治、経済、社会、エンタメなど様々な分野で、同じように現場の記者と皆さんの間での交流があったほうが、情報空間はより楽しく、生産的なものになるはずです。今後、そんなことにも取り組んでみたいと思っています。

そして、質問者さん。
すでに、ほかの就職先が決まっているとのこと、まずはその分野で存分に頑張ってみてください。しばらく仕事をしていくと、どんな分野でもどんな会社でも変えなければならない部分に気づいてくるはずです。そこから先にやるべきことは、きっと共通しています。自分が正しいと感じる姿に、変化していけばよいと思います。

いただいたコメント、私にとっても非常に励みになる言葉でした。
大切に保存しておきたいと思います。質問者さんの今後の歩みが、素敵なものになることを願っています。違う道を歩むことになりますが、人生とはわからないものです。いつか仕事ですれ違うかもしれませんよ。そして、また報道の道を目指したいと思ったら、いつでも連絡ください。笑

【自己紹介note】