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人の気持ちは読むな

自分でいうのも何だが、私は優しいと思う。
基本的に。


自分が損するくらいが丁度いい、
という父のモットーの元、他の人の気持ちを汲み取って、その人の為に動いて、自分を犠牲にするのが美徳だと思っていた。


「ひとのきもち」について

小学校の時のエピソードがある。

私が通っていた小学校では音読や国語に力を入れていて、当時では珍しかったであろうディスカッションなども子供達が積極的に行う環境で、度々研究授業として県内外から先生が見学に来ることもあった。

国語の授業が終わるとみんなが先生にノートを提出し、
感想文が良かったり、きれいに授業内容がまとめてあったり、その内容が良ければ先生がコピーをしてみんなに配り、お手本として披露され参考にされる機会がしばしばあった。

そんな折、私はノートに授業で出て来たストーリーをまず写し、物語が進むに従って
主人公の心理状態がどう変化していったのかを
文章の下に折れ線グラフで示す事を思いついた。

主人公が不安な時は波打ち下に下がり、怒りや喜びなど激しい感情は直前で力強く上向きにグラフが推移する様に表した。
「ひとのきもち」を可視化できるようにしたのだ。

これが先生の目に留まり、無事に私のノートはコピーされみんなに配られる栄光を得た。

「ひとの気持ちがわかることは、みんなが認めるとてもいい事」

刷り込みが生まれた瞬間だった。


元来、“入り込みやすい”気質だった私は、
どんどんひとの気持ちを読む様になる。

あの子はこう思ってるのかな、
だからこうして欲しいのかな。

あの子怒られてる、かわいそう。
なんて言ってもらえたらうれしいのかな。


映画や曲にも感情移入し、泣く様になった。

きもちを、読んで、よんで、よんで…


社会に出て、10数年たった私は
立派なHSPになった。

もちろん、人の気持ちがわかる、汲み取れる事は
道徳的にも、人間社会で生きる上で良い事だと思う。
大事な人が傷ついている時は、できる限り寄り添いたいと思うし、

接客業を経験した時には、お客様が何を求めているのかを考え動き、結果として売上に繋がる事にやりがいを覚えた。

私と何かしらの繋がりを続けて 
持ってくれている人達は、
きっと私のそういう面を心地よいとか、
ポジティブに受け取ってくれているのだと思う。



ただ、

上司の気持ちを読みすぎて、振り回されて
相手の怒りのパワーを感じすぎて、
周囲の反応を気にし過ぎて、
問題児の後輩の浅はかな嫌がらせに過剰反応して、
社内政治の圧力で本当の意見が言えず、
人の作業優先してあげて、
自分の仕事を後回しにして残業して、

胃潰瘍になったり、寝れなくなったり
会社を休まないと行けない期間ができたり。



そんな事を振り返ると、ふと思う。



あれ?ひとの気持ちそんなに読まない方が
いいんでないかい?
と。

わかる人にはわかる。名作。


空気読まずに
他人に押し入って
自分の中の正義でもって
自分の業務を遂行する

そんな性格の方が、
特に厳しい社会生活をサバイブするのには
いいんでないかい、と。

もちろん、強く見せようと振る舞ったり、
鈍感な人と言われる人達の真意はわからない。
自分の弱さを隠す為
表層的に強くしている場合もあるだろうし、

私が弱い(よう)なまま、ある種甘えて生きてこられたのも、周りが私の心を汲み取ってそばにいてくれたおかげでもある。


ただ、余裕がなくなると、
うまくこなせない自分への言い訳として
ふと思ってしまうのだ。

歳を取ると図太くなるというが、
私はどんどん自信がなくなるばかりである。


………………………..

小心者の私のくせに、大分極端なタイトルをつけました。
夢ある新社会人の方が見た場合にはふさわしくない内容でしょう…

ただただこんなおばさんもいるんだよ、
逆にこんな自信ないおばさんでも何とかやってるよと
ケーススタディにでも、反面教師にしてもらえたらと思います。

うまい妥協点を見つけてやり過ごす事ができるようになったら、オフィシャル大人なんでしょうか。

社会人の先輩方は
どうやって折り合いをつけていますか?
もしコメント頂けたら嬉しいです。


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