朝顔の思い出
朝顔。
今朝、ふと朝顔と共に子供の頃の夏休みを思い出した。
夏休みの宿題
夏休みの宿題、自由研究と読書感想文が苦手だった。
ドリルは早々に終わらせてしまえるから、まだいい。
絵日記は、天気と気温を書くのは好きだったし、その日にあったことをそんなに大きくもないスペースに書けばいいだけだからまあいい。
ただ、自由研究はあまり好きじゃなかった。
研究したいことなんて、特段なかったから。
今思えば、出さない(出せない)という手もあったのに。
どうやって乗り切ったか記憶がない。
読書感想文はギリギリまで困る子供だった。
本は好きだが、読むのはいいとしても、課題図書はあくまで課題。
面白いと思わないものもあったかもしれない。
現に課題図書がなんだったか、1冊も覚えていない。
いつも、この本を読んでどう思ったかをなぜ書かないといけないのか?
と思っていた。
(自発的に書くのはいい。強制されるのが嫌だった。)
朝顔
多分小学校一年生の夏休みのことだと思う。
自由研究もせず、そのことをまずいとも思わない子供の私がいた。
なんとなく覚えているのは、夏休みの終わりに、母が自由研究をしていないことに焦っていたこと。
(でも、今思えばそこまで放置していた母が珍しいと思った。)
夏も終わった新学期。
私の自由研究は、銀賞をもらった。
以下、母から聞いた話。
夏休みも終わろうというのに何もしていない私。
母も困ったが、何やら私がノートに日にちと数字を書いていたらしい。
私に聞くと、私は朝顔が咲いた数を記録していたというのだ。
(頼まれたわけでもないし、研究していたわけでもない。)
おそらく、毎朝花が咲く、増えたりする、減ったりするのが面白かったのだと思う。
仕方なく、母はそれを自由研究に仕立てることにした。
ということだ。
咲いた数だけではどうにもならないから、朝顔について私と共に調べ、
絵はなぜか母が描いて(多分私が言うことをきかなかったのだろう💦)、完成したものを提出した。
朝顔について調べたのはぼんやり記憶がある。
手伝ってもらったくせに、
賞をもらったら、研究になんの意欲も持っていなかったくせに、
『金賞じゃなかった』とがっかりした私に担任の先生は言った。
『お母さんが絵を描いてくれたでしょう。全部自分で描いたらよかったね。』
母のお手伝いを先生はお見通しだった。
金賞が誰だったかも、銅賞が誰だったかも研究の内容すら知らない。
果たして、私以外の子も全部自力だったのだろうか。
大人になってからも、
朝顔を見ると、夏休みに私を助けてくれた母を思い出す。
母が考えてくれなかったら、自由研究は出せなかったと思うから。
ちなみに課題図書同様に、
その年以外の自由研究をどうしたか全く記憶がない。
(まさか出さなかったんだろうか💦)
でも。
自由研究をしなくても、
読書感想文を書かなくても、
大人にはなれる。
さて。
社会人になった私の苦手なことの一つ。
『質問はありませんか?』
ある時はいいけれど、ない時が本当に困る。
たまに『質問タイムがあるから、考えておくように』なんて言われるとげんなりしてしまう。
なかったら、ないでいいじゃない?
夏になると、同級生のお家の垣根にブルーの朝顔が咲く。
今年も見られるかな。
ちなみに記憶だと、母が描いてくれた自由研究の朝顔はピンクだった。
今も小学生は、朝顔の鉢植えをひとり一つ持たされて夏休みに入るのだろうか。
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