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失敗の捉え方と次のアクションとの関係

先日大事な10万円を投資で擦りました。

正確には投資先会社が回収に乗り出してはいますな具体的な見込みは立っていません。

つまり、返ってこない可能性があるということです。

実際に自分の身で起きたのは初めてで、

銀行に預けていたら一年間で0.01%。

この投資案件なら10%。

そんな甘い文句に誘われてやってみました。

では、この経験をどう捉えるか?

やらない方が良かったと捉える?

この捉え方はとにかく否定するわけです。なんで俺は欲深い人間なんだと。だから失敗したんだと。“10万円を擦ったという”結果からいい悪いを判断するわけです。

確かに欲はあった。当たり前です。しかし、金利を得たかっただけかというとちょっと違う気がします。金額にしたらそもそもたかが知れてますよね。

何を得たかったかというと、投資をするという経験を得たかったんだと思います。

そういう意味でいうと、経験はしましたし、気持ちよくはないですが失敗という大きなおまけまでついてきました。結果はどうであれ目的は達成し、さらに次に繋がるタネをもらったと捉えるとどうなるでしょうか。

話のネタになる

失敗すると間違いなく残りますよね。記憶にも。

話のネタにもできますよね。この記事を書けているも失敗したからですし、失敗談のほうがこちらの想いが強くなるのかみなさんも興味わくと思うんですよね。

次はもっと上手くなる

多分次は間違いなくもっと上手くなると思います。

今同じ投資案件で損した人が発信している情報とか調べてます。運営会社がどうだったか、案件はどうだったか。多分失敗していなかったらここまで調べなかったかも知れません。

さらに、知識を得ようとする意欲の沸き方が違います。

もうひたすら銀行に貯蓄して一円も損しないようするか?

知識を得たうえで前よりも “賢く” 再挑戦してみるか?

忙しくなりそうです。

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