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「太郎への手紙 より」『岡本かの子』(ちくま日本文学037)

 小説家・歌人である岡本かの子から、芸術家、岡本太郎への手紙「太郎への手紙 より」が収録されている。
 岡本太郎のエッセイ(どのエッセイだったか)を読んだとき、人間愛というものの大きさを感じた。岡本太郎の人間愛がどこから生まれたのか。この手紙を読むと、やはり岡本かの子から、と言いたくなる。
 いつの時代も、親が子に注ぐ愛はきっと似通っていて、岡本かの子が、岡本太郎が送ってきた手紙のことを、本当にいい手紙、って喜んでいたり、意に染まぬ仕事も、太郎のためにやろうと決意したり、とにかく倹約して太郎の留学費用を捻出しようとしているところ、とっても親近感が湧いてしまった。
 名前の知れた作家であったり、歌人であったりして、それなりの生活はもちろんされていたのだろうし、あの時代に子どもをパリの大学に行かせること、ソルボンヌに受かる岡本太郎もすごいし、個人の超人的な勤勉もあり、芸術家・岡本太郎が誕生したのだろうけれども。
 それでもお金の工面をして、お金が欲しい、旅行したい、と書く岡本かの子の気持ちは、ものすごーくよく分かる。

p.438
おまえ伊太利旅行したかあないかい?今のうち行った方がよかないかい。ほんとうのところ、こっちも随分びんぼうでその時その時の暮は出来るけれど貯金なんかないんだよ。でも、私千円ばかり何かの時のたしに、持っているの。あんたが画風のきまり切っちまわない前に伊太利へ一度行くのが将来のために良いならそれやるよね。

「太郎への手紙 より」『岡本かの子』(ちくま日本文学037)より

 狭い世界で、狭い視野で自分の将来というものを考えて欲しくない。イタリアに、息子にとって素晴らしい影響を与える作品がきっとあるだろうから、それも取り込んで、大きな視野で将来を考えて欲しいって思ったのだろう。
 私も、今まで自分が幸運にも見ることができた、広い世界を子どもに見せてあげたい、っていう欲望がすごくある。あとは、子どもが駆け出して行った先にある、素敵なものも見せてあげたい。
 以前、水族館に行く途中、500円でお笑いライブやってます、っていうチラシを道端で配ってて。
 その日は時間もなかったし、あやしさも満載だったので、チラシは受け取らなかったけど、
子どもが通り過ぎたあと、行きたい、と言ってて。
 じゃあ、今度吉本のお笑いチケット取ろう、と言ってお笑いライブも行ってきた。そしたら、吉本だけじゃなくて、ホリプロと渡辺プロのも行きたいと言ってきて笑、ホリプロのも行った笑

※あとで検索したら、500円のお笑いライブは別にあやしくはなかったです!

p.437
タロどの                                                      カノ
 お前が展覧会へ出すについておとうさん大よろこびですよ。
 よかれ、あしかれ、仕事を積み上げて行くんですね、空想や計畫ばかりでなく現実的にね。みとめられようがられまいがそれが動機で画が出来ていくものね。
 しかし、なるべく迎合しないようサロンに左右されないもので出色しなさい。とにかく、ピカソの精神がわかればあとは実行があるばかりです。

「太郎への手紙 より」『岡本かの子』(ちくま日本文学037)より



息子にこんなアドバイスできるお母さん、カッコいー。
 タロもタロなら、カノもカノだわ…

 私が、この母ステキだな、と思うのは、本のおねだりなどもしているところ。文芸誌を送って、とか、フェミナ賞、ゴンクール賞をとった小説を送ってとか。この辺は、母というより、子になってる笑(ジャマしとるやんけ…)

  岡本太郎のどこかのエッセイに、母は母らしくなかったとハッキリ書いてあった。どうやらそのようです笑 母から子への手紙という部分ももちろんあるけれども、恋人から恋人への手紙のようでもあるし、作家から芸術家への手紙でもあるし、人間から人間への手紙でもある。

 下記の部分がさすが作家、的確で鋭いーと笑えた。確かにー、って。

ジイドは小乗で小ウルサイネ、ちょっとよんだのだけれど、ロオレンスは素敵に芸術的だ。

「太郎への手紙 より」『岡本かの子』(ちくま日本文学037)より

 この手紙の最後の方で、自分の著作に飾る画を描いてくれ、とお願いしている。この手紙の中で言っていた画とは違うかも知れないけど、図書館で見た。冬樹社という出版社から1974年に刊行されている岡本かの子全集。赤と青の抽象画で、いかにも岡本太郎の作品という装丁。親子の共作。素敵。

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