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【オーストラリアより】仕事について考える。

南半球のオーストラリアは冬です。
オカリナでございます。

一連のコロナウイルスの流れで、ライフスタイルの見直しを迫られた人は少なくないのではないでしょうか。
今回の一件でいろいろ考えたことがあるので、
「仕事」についてダラダラ書いてみたいと思います。

オーストラリアの政府は言いました。
「ビジネスに給付金出すよ、従業員のお給料補償するよ。でも、ジョブキーパー(ビジネスを続ける上でどうしても欠かせない人)だけね。」
こうして天下分け目の決戦。血で血を洗うポジション争いがそれぞれのビジネスで起こったとか起こらないとか。

これで一番最初に切られたのは、カジュアルという日本でいうところのアルバイトポジションの従業員です。
私のような外国人は、就労ビザや永住権、国籍を取得していない限りはここに当てはまる人が多いと思います。

で、これが何を示すかと言いますと、
いくら就業態度が真面目で、実力も資格もあっても
アルバイトだからという理由だけで切られるということです。
私の友人でも職を失ったシェフ何人もいます。
「あいつクソ使えねーのに、まだ仕事あるなんて世も末だ」みたいな人がのうのうと政府からの給付金でお給料頂戴したりしているわけですね。

私の感覚では、実力のある人が優先なのかと思っていました。
実力とは、時給あたりのコストパフォーマンスが良い=効率的、
マルチタスクである、先を読んだ行動ができる、確度が高い。
あたりを想定しています。

でも、世の中そうじゃないんですよね。

日本だととにかく身分とか肩書だけしか取り柄のない中年男性が管理職にいるイメージですが、オーストラリアは女性も男性も管理職にいます。なんなら若いのから老いたのまでさまざまです。

ここで、オカリナ思いました。
「そもそも仕事って難しいもんなのか?」と。

お医者さんとか弁護士さんみたいな人権とか倫理とかに関わって、知識のアップデートが日々必要で、専門知識が必要っていうお仕事は確かに難しいと思います。

でも、日本に溢れかえっている会社勤めのサラリーマンの仕事って何が難しいの?
ストレスがーとか、付き合いがーって言うけど、それって業務内容と関係なくないか?
タスクとしての難易度は本当に高い?????

仕事にプライドを持ったり、やりがいを持つことに対して文句を言っているわけではありません。
その仕事、本当に言うほど難しいですか?ってこと。

資本主義の社会では、食べ物を買うにも家を借りるにも何をするにもお金が必要なわけです。
その大前提であるお金を稼ぐ手段である仕事が難しかったら、我々おまんま食べられないわけですよね。

例と言ってはなんですが、
今私が一緒に働いてるオーストラリア人マネージャーは、驚くほど仕事できないです。いいところは温厚な性格だけ、ていうくらい。
1年以上一緒に働いてるけど、進歩の様子がほぼ見られません。
それでも、仕事失ってません。
業務覚えない、確度低い、話を一回で理解できない、視野が狭い、と仕事できない性質フルコースなぐらい仕事できません。

でも、それでいいんです。

だって、生きていくためには、お金が必要だから。

というか、お金を稼ぐことが必要以上に難しすぎたらいけないんです。
だから、お金を稼ぐことを理由に時間を必要以上に無駄にすることもないんです。

私は勝手に、日本社会では家父長制の中で男性たちが自分たちの名誉を守るために必要以上に仕事の重要性を底上げしたせいで、
仕事=難しい
っていう図式が出来上がったんじゃないかと思っています。

だって、別に難しくねーもん、仕事。

今回のコロナでわかったでしょ。
会社行かなくたって仕事できるんだよ。
だらだら長時間かけてやらなくてもタスクは終わるんだよ。
会社に行って時間潰すだけが仕事じゃないんだよ。
やることって会社以外にもたくさんあるんだよ。

なので、私は必要以上に仕事を難しいとか大変っていうのももう令和になってしばらく経ったことですし、やめたらどうかなと提案したいです。
そうしたら、もう少し自分にも余裕がでるし、一緒に働いてる人にも思いやりを持てるんじゃないかなと思うんです。

パースの珈琲屋からは以上です。

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