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ジョジョ7.8部に自分がハマらなかった理由が納得できた 〜ハチミツさんに感謝を〜




私のジョジョ歴


現在絶賛どハマり中の「ジョジョの奇妙な冒険」

簿記2級の試験も終わったので、再度心置き無くハマっています。
8月から仕事が忙しくなるのがわかっているので、
「いつハマる?今でしょ!」
という感じです。

アマゾンプライムでもアニメが再開したので、また3部を見直しています。
Blu-ray持ってるのに。。。


そんな私がジョジョにハマったのはついつい最近です。
2020年年末に「岸辺露伴は動かない」がNHKでドラマ化され、その当時は知らなかったのですが、確か翌2021年秋頃に続きをやると話題になったか何かで、NHKオンデマンドでパート1のドラマをAmazonプライムで見て感動し、年末にパート2をリアルタイムで見て、ハマっていきました。

Amazonプライムでアニメをみて、特に決定的だったのが、3部でした。
スマホを持ち歩いて家の中で見まくり、ドツボにハマってどっぴんしゃん、もう抜けずにどんどこしょしてしまいました。

1部、2部、3部、4部、5部とアニメを見て、「野良犬イギー」を読み、去年2022年7月に、6部の漫画を文庫セットで購入して読破し、見なかったことにして本棚にしまい、3部のBlu-rayとラジオCD,イベントDVDを購入。年末12月に、7部8部をkindleで読み終え、「岸辺露伴は動かない」パート3を見ました。
そして今年になって、「OVER HEAVEN」を読み、最近映画を見終え、「クレイジー・Dの悪霊的失恋」を読み終え、今は3部の漫画の文庫セットを購入してパラパラと読んでおります。(「恥知らず、、」も読みましたが感想がまだ書けておりません)

合間にジョジョワールドや10周年アニメ展に、恥ずかしくもさくらんぼのピアスをして一人で行ったのはここだけの秘密にしてください。(笑)
アイズオブヘブンやオールスターバトルSも購入し、そのためにPS4を購入しました。(まだ触りしかできてませんが)

本当にどうかしていると我ながら思っております。
大人がハマるとタチが悪いですねえ。

本当は仙台とか行ってみたいんですけどね。花京院の通りや郵便局見てみたい。
エジプトは流石に無理だからさあ。

ちなみに9部はネットで少し情報は見ていますが、本編は読んでおりません。
雑誌に手を出すと時間もお金も続かないので、漫画はコミックス化されたものを読むというルールを自分に課しておりますのです。
1巻が出たら買って読む予定です。


「ジョジョの奇妙な冒険」で、私が一番好きなのが、3部、次が4部です。
ちなみに一番好きなキャラは花京院典明!(←しつこい)


6部の結末はネット情報で知っていました。

知っていたのに、知っていたのに、、、
承太郎の最期が、、
もう辛くて辛くて、辛すぎて、、、(涙)

とりあえず今の所は、見なかったことにして文庫を本棚にしまっています。
でも、6部も最初の部分だけですが、Amazonプライムにやってきたんですよね。忙しくなる前に、見れるうちに見ようか迷っています。

そもそも私は、結構ジョジョのど真ん中世代に近く、しかも少年ジャンプを見て育った口です。
ジョジョはリアルタイムで見ていたはずなのですが、当時は全然ハマりませんでした。普通にドラゴンボールとか幽遊白書が好きでした。
それでもジョジョで覚えているシーンはところどころあり、1部の犬が焼かれるシーンは何故か幼少期のトラウマのように覚えていますし、一番覚えているのは4部の髪の伸びる女子高生や、顔がめくれて本になるシーンです。
が、全体の話は全く残っておらず、ジョジョといえば、ジャンプの中でも変わっている漫画、「え?ジョジョ?好きなの?」という印象でした。(すみません)

それがなんで今になってハマったのか、自分でも不思議でなりません。

「なんで今更ジョジョなのよー」


7部と8部はハマらなかった。



そこまでハマっているジョジョなのに、
7部8部は、自分にあまり刺さりませんでした。

面白く読ませてもらったのですが、面白い漫画、というところで、3部のように感動せず、夢中にならなかったのです。
自分でも不思議でなりませんでした。

一巡後の7部以降は、セルフリメイクという位置付けで良いのでしょうか。

7部は、
遺体を集めるというのは、6部の天国が残っている印象。
名前は1部。
ツェペリさんとのバディもの、回転と波紋からは2部のイメージ。
長距離移動を敵が襲ってくるのは3部でしょうか。

8部は、
自己発見と家族の物語。
もちろん名前と場所から4部のリメイクなんですが、岩人間は2部の柱の男に近いかな。するとロカカカはエイジャの赤石か?ホリイさんは3部ですが。
それに、震災ならぬ厄災が被ってきた感じですね。

この分だと9部は、5部っぽい感じになるんでしょうか?

7部でも8部でも、登場人物はみんな、回転にスタンドという能力をうまく使い、友情を育み仲間と協力し、目的のために知恵を絞り工夫を凝らして死力を尽くしていました。
スタンドがだいぶわかりにくくなってしまっていましたが、手に汗握るバトルに予想を超える展開は健在で、ぶっ通しで読み通しました。
面白かったです、とても。

でも、ハマんなかったんですよねー


そんな中、
ハチミツさんの下記のnoteを読ませていただき、

自分の中で理由を見つけ、整理をつけ、納得できることがあったので、
これ以降それについて書かせて頂こうと思います。


人間って嫌な生き物だなあ。


突然の上どうでもよいことですが、

私は人が苦手です。

小さい頃から変わってる変わってると言われて育ち、あまり友人ができませんでした。
元々承太郎に勝るとも劣らないコミュ障で、話すのが特に苦手で、人見知りも激しく、ボインゴほどではないですが、滑舌が悪く少しどもりもあります。
空気も読めないし、特に女子同士のトークが苦手で、お昼の集まりが苦行でした。

そうやって変わっていたからかなのか、小中と同級生に嫌がらせのようなものをされてました。
当時は太っていたのでお尻が大きいでけ子とからかわれたり、すれ違いざまに肩をぶつけられたり下着のホックを外されたり。
いじめとまではいかなかったかもしれませんが、、、
なぜ自分にこんなことをするのか、なぜ自分はこんなことをされないといけないのか、当時の私はわからず、困惑していました。(今でもわからないんですけどね)
自分が嫌がっていたかどうかは覚えていませんが、自分がされて嫌なことをわざわざ意図的にするというのがなんとも理解不能でした。なんで廊下の向こう側からわざわざこっちに近寄ってぶつかるの?

そして、
「人間嫌」「人間嫌い」「人間は醜い」
と思うようになりました。


ただ、ずっとそういう思いをし続けていたわけではありません。
学校はクラス替えがあり、それによって近しいメンバーも変わります。

中3の時には5人グループに入れてもらい、うち2人とは、コロナ前まで年1回程度集まって食事をしていました。高校3年では学校で親しく過ごす友人が2人でき、初めて友達と旅行に行くことができました。
大学に入ってからは、2年の時に部活に入って、カラオケに言ったり車に乗って桜を見に行ったり夏に旅行に行ったり楽しく過ごすことができました。1年一緒に過ごした5人の班わけグループでも、カラオケに行ったりスキーに行ったりと本当に楽しく過ごすことができました。

特に大学生活は私の青春であり、人生の支えになっています。
あのまま時が止まればよかった。。。。

それでも、人間が嫌、人間が醜い、という思いは根深く私の中に続いています。

ニュースを見れば、子が親を殺し、親が子を殺す。
遠い国ではいつも人間が殺し合っている。
自分の欲のために、嘘をつき、人を騙し、金を奪う。
なんて人間で醜く自分勝手な生き物なんだろう。

コロナ禍でさらに人間が嫌になった部分もありました。
マスクもしないで飲み会やってコロナになり職場に広めた若い奴、私が195cmの男だったらオラオラしてやったのに。。。

もちろん、私もそんなうんざりする自分勝手な人間の一人であり、自分のことしか考えず生きているということぐらいは、理解しています。

正義とは太陽ではなく星のようなもの、、、と言ったのはナルサスだったでしょうか。
これがいい人間これが嫌な人間というのは、私の個人的な価値観の押し付けでしかなく、人はそれぞれ価値を持ち希望を夢を欲を持って、自分のために必死に生きているのです。


利己的か悪か


「悪」とは てめー自身のためだけに 弱者を利用しふみつけるやつのことだ!

「悪」とは敗者のこと…「正義」とは勝者のこと…生き残った者のことだ
過程は問題じゃあない 負けた奴が「悪」なのだ

ジョジョの奇妙な冒険 花京院典明その②


ジョジョ3部の承太郎と花京院の対戦時の会話。

承太郎はこの後本当に喋らなくなり、必要な情報伝達以外は、普段の会話ではおじいちゃんへの皮肉ぐらい、対戦中にいうのは相手への威嚇ぐらい、とのコミュ障になってしまったので、珍しく彼の主義主張思想がわかる発言になっています。

一方、花京院は、この時いわゆる肉の芽状態でした。彼はポルナレフと違いほぼ完全に精神的に支配下に置かれていたため、=DIOの思想と考えて良いでしょう。
つまり、最終決戦までなかった、承太郎とDIOの対話ということになります。


それにしても、この「悪」、、、

まんま7部の主人公たちじゃあないですか?

7部は自分のために他人を蹴落とす利己的なレースが舞台です。
彼らは自分たちの欲望のため他人を時に利用し時に殺したりして排除し、自分の目的を果たそうとし、のしあがろうとします。

もちろん生き方としては、一概に悪いとは言い切れない面もあるでしょう。
現代の時代だって、方法はもっとおだやかになりましたが、所詮資本主義は競争社会です。受験戦争から始まり他人と争い他人を蹴落として、自分が少しでも有利になるようにみな色々な方法で努力しています。

それは「悪」なのか?

私は正直難しいところだなと思います。

少なくとも、DIO様はじめ6部まで出てきたラスボスのような絶対的な悪かと言われると、ジョニィもジャイロもそこまでかなあ、と。

ただ、「正義」かとなると、、
そういう見方は難しいでしょう。

自分が生き残るために、自分のために他人を利用して踏みつけて何が悪いとのたまう正義は、正直受け入れ難い。
肉の芽花京院=DIO様は正義にはなり得ません。


正義の味方ではないが、極悪人とも言い切れない、悪いことをしつつ、時に仲間と協力して助け合ったりもする、利己的な人物が、7部の主人公たちなのです。


人間というのは妙な生きものよ。
悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事を働く。

鬼平犯科帳より

上は、鬼平犯科帳という、私の好きな時代劇に出てくるセリフです。
池波正太郎原作もので、水戸黄門や暴れん坊将軍のような、完全な勧善懲悪ものではないところが魅力です。

人間というのが、色々な面を持った妙な生きものであり、善悪に割り切れないものだと、鬼平では繰り返し指摘されています。


7部の主人公をはじめとする登場人物には、この鬼平の人間の見方と通じるものがあると思いました。

正とも悪とも言い切れない人間。
正の面も悪の面も持っている人間。

おそらく現実の、リアルな人間とは、こういうものでしょう。
この7部の途中から、少年ジャンプから青年誌にうつったのもわかります。


続く8部はどうでしょう。

主人公は自分探しという明確に自分のために行動していました。
東方家は、家族内でも疑いあい、秘密を持ち合って、時に利用しあっていました。
やはり自分のために。

彼らは、悪ではありません、多分。

悪ではないんですけど、、、


利他的と自己犠牲


3部に話を戻します。

3部の目的は、ホリィさんを救うことでした。

これが若い女の子だったら、性欲や所有欲が見え隠れしてしまうところですが、
ジョセフと承太郎にとっては親子であり、残り3人は赤の他人になります。
ポルナレフに至っては、会ったこともない、ジョースターさんの娘さん、承太郎のお母さん、でしかないでしょう。(写真ぐらいは見たことあるかもしれませんが)

大事な母を娘を家族を助けるために、
1回会ったか会ってないかぐらいの赤の他人を助けるために、
彼らは何十日も旅を続け、傷つきながら命をかけて戦い続けたのでした。

(もちろん自分たちを狙い操ったDIOへのけじめや対抗、悪を広めないという正義感もあったでしょうが)

そして彼らは、自分の仲間を助けるため、自己を犠牲にして散っていくのです。


まあ、いませんよね、実際にはそんな人。
みんな死にたくないですよ。
自分が良ければいいのが、人間ですから。

実際にはあり得ない、フィクション、ファンタジーとわかっております。
この歳になると。

しかし私は、
そんな彼らの姿を、
その黄金の精神を、高潔な魂を、
とても美しく、尊いものと感じ、
散っていく姿に涙し、心から感動しました。

その喪失を悲しみ惜しみながら、
人間とはこうあるべきだ、こうあってほしい、と願いました。


そう、私が、漫画をアニメをフィクションの世界を見る理由は、
普段見ている現実によくいる、利己的な醜い人間を見たいからではないッ!
現実にはいそうもない、他人を思って行動する、利他的な美しい人間を見たいからだったのだーーーーーーーーッ!!!


4部にしても、
この街を守る、街の人を守る、その気持ちが素晴らしいと思う。
スタンド使いなんだから、スタンドが見えるのだから、自分たちだけ守っていればいいという選択も彼らにはできる。
そもそも承太郎なんか親戚がいるだけの街なんだから、杜王町は。
でも、彼らは、自分たちが傷つくことを厭わずに戦う。
しげちーでさえパパとママを守るために立ち向かっていく。


私はそんな彼らが大好きで、
いつまでもそれを見ていたい、
その世界に浸っていたい、
と思っているのでした。

もっといえば、
人間嫌い、
と言いつつ、
人間を好きになりたいから、
なのかもしれません。

なぜ自分に、7部8部が刺さらなかったのかが、やっと腑に落ちました。

わかってよかったです。


「人間」讃歌できるか?


星の英雄の話は終わり、地上の人間の話に移ったのが、一巡後の世界であり、7部からのジョジョなのでしょう。
いいことも悪いこともする、ある意味、普通の人間たちです。
(目的を果たす強い意志などはありますが)


ジョジョの奇妙な冒険は「人間讃歌」がテーマと言われています。

荒木先生の人間讃歌は、正義の人も普通の人も、そして悪人をも、人間として肯定するものなのでしょう。いわんや悪人をや、でしょうか。

一方、私はどうしても、正義の善人を讃美したい、と思ってしまいます。

荒木先生の「人間」と私の「人間」はここでずれています。


漫画を含めた読書が私の趣味ですが、
その時読む本について、あまり理論的でない持論があります。

読者は本を選び、本は読者を選ぶ、というものです。
人間は、その人のその時その人生にあった本と巡り合う、という運命論的な考えです。
全く根拠はないので、経験的感覚的なものになりますね。

私は「ジョジョの奇妙な冒険」と最初から出会ってはいましたが、本当に巡り会ったのは、2年前の秋になるでしょう。
その前の時は、私がジョジョを楽しめるまで成長していなかった、あっていなかったということなのでしょう。


では、、、、

さらに私が成長したら、成長できたら、
荒木先生のように、利己的で悪いところもある普通の人間を受け入れ、肯定できるようになったら、
7部や8部を夢中になって読むことができるようになるのでしょうか?


それは、わかりません。
そうなりたいようななりたくないような、なんとも言えない気持ちです。


とりあえず、今は、6部のアニメにチャレンジし、娘を守る承太郎の散り際に涙しようかな、と思っています。



以上、相変わらずまとまらない上に長い文章ですみません。
自分としては、自分が少しわかったようで、とてもすっきりしました。
元旦の朝におろしたてのパンツ、、、すみません。

そのきっかけを与えてくださったハチミツ様にお礼を申し上げます。

どうもありがとうございました。



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