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彼の声が聞けてよかった

歩きながら、一人で話している人をたまに見かける。

電話はしていない。

明らかに独り言だ。

一人で「あーでもない、こーでもない」とぶつぶつと言葉を口から漏らしている。


昔は、そういう人を見て「目を合わせてはいけない」みたいな態度でやり過ごしてきたけれど、今は少し話しを聞いてみてもいいかなと思えるから不思議だ。

かなりの高確率でケガをすることになるとは思うけど。


歩きながら、人目を気にせず、はっきりと何を言っているのかを聞き取れるレベルで話している人の中には、怒っている人も一定数はいる(そういう人の方が多いかも)

ついさっきも(4月28日PM15時頃)、京都にある六角堂付近を歩いていたら、明らかに一人なのに、怒りながら、その怒りの言葉を発しているマダムがいた。

我慢できなかったのかもしれない。

あるいは、口から怒りの言葉が漏れていることに、本人も気が付いていないという可能性もある。

いずれにせよ、何かあったんだろうなということは容易に想像がつく。


かと思ったら、今度は、タクシーの運ちゃんが窓を開けて、渋滞していることに苛ついていたのか、大きな声で「あーしんどいなもう! どないなってんねん!」と大胆に空気を揺らしていた。

僕もそうだったが、多くの人は、そういう人を見かけると、大体が迷惑そうな顔をする。

「うるさいな、ちょっとは周りのことも考えろよ」

でも、周りのことを考え過ぎて、ついつい、大きな声になってしまうこともあるんじゃないかと思った。

昔、僕がまだサラリーマンだった頃、会社のすぐ近くのラーメン屋さんに昼夜問わずによく行っていたことがある。

ラーメンが美味しかったからではない。

店の雰囲気とか、接客が素晴らしかったわけでもない。

どちらかというと、街のラーメン屋といった感じで、会社のすぐ近くにあるという理由だけで、お昼時や、仕事終わりに同僚と飲みに行っていたというだけのことである。


店員はすべておじさん。(オマエもな)

それも会社勤めが性に合わなかったという感じのおじさんたちばかりだった。

別にそれはいい。

その中に、一人だけ青年がいた。(おじさんだったかもしれない)


その青年は、ラーメン屋さんの中ではペーペーだったらしく、僕たちから見ても明らかにわかるくらいにこき使われていた。

「早くしろ!」
「遅せえんだよ!」
「まだできねえのか!」

そういうのは、客の見えないところでやってくれ。

でもたしかに、何をするにも鈍臭い自分が言うのもなんだが、手際が悪そうだった。

そして、その言い方に対して、彼は何も言わずにただ「はい! すみません!」と返すだけだったような気もする。

イチイチ周りを苛つかせてしまう人。

そんな印象を持った。

ただ、仕事はいたって真面目で、ちゃんとやっていた。

だから、同じ仕事をする人とお客では、見方が変わるのは当然かもしれないけれど、僕は彼に対して悪い印象は全くなく。

いつものラーメン屋の、いつもの風景の中に彼はいた。


ある日のこと、いつものように僕は、お昼時にそのラーメン屋に入った。

決して美味いわけではないけれど(失礼!)、お腹をすかせたサラリーマンにはちょうどよかったのかもしれない。

何故かそのラーメン屋に足が向いてしまうのだ。


その日も、いつもと何も変わらない風景がそこにあった。

店員さんたちは、会社勤めが性に合わないおじさんたちばかりだったし(だからオマエもな)

こき使われている青年も、いつもようにこき使われていた。

「早くしろよ!」
「注文聞いたのか!」
「お前が会計行くんだよ!」

誰も気にしない。

「いやいや、それはちょっと言い過ぎでしょ」と心の中では
思っていても、誰もそれを口にはしない。

いつもの風景。

それは私には関係がない。

私はただラーメンを食べに来ただけで、厨房で何が起きているかについては内政干渉になるので、見なかったことにします、といった無言のオーラを誰もが発している。

その時だった。

均衡が突如として崩れた。

いつもの風景が、いつもの風景じゃなくなった。


「今、やってんだろうがっ!!」


耳を疑った。

でもたしかに、そう発した。

あの彼が、である。


いつもこき使われて、「はい! すみません!」しか言わなかった彼が、とうとう反旗を翻したのである。

その声は、店内に響き渡るというほどではなかった。

気付かなかった人もいたかもしれない。


しかし僕は聞いてしまった。

明らかに、口答えしたのである。

さて、どうなる。

僕は固唾を呑んでその後の様子を伺った。


……何も起きなかった。


その青年はいつものように仕事をして、その他のおじさん店員たちも、いつもと同じく何事もなかったかのように仕事をしていた。


あれっ!?

空耳か! とも思ったが、そんなことはない。

たしかに、あの青年の口から言葉が漏れ出たはずだった。


でも、結局は何事もなく、僕はラーメンを食べ終え店をあとにした。

きっと、その後もラーメン屋の中では何も変わることなく、いつもの風景が繰り返されたんだろうなと思う。

見てないけど。

でも、何故か僕は、会社に帰る道すがら、彼の声が聞けて良かったなと思った。

言えて良かったねと。

たまには周りのことは何も考えずに、大きな声を出してもいいんだ。

聞いてくれる人がいないなら、独り言でもかまわない。

言いたい言葉を口にすることは、時に迷惑な場合もあるけれど、迷惑だとは感じない人もいることを、ここに記しておきたい。


それは決して言葉になることはないけれど。


元気にしてるかな、彼。


元気でいてくれたらいいな。


彼が今日も言いたいことを口にすることができる佳き日でありますように。


何者でもない物書き 上田光俊




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