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コンプレックスを持つ前の自分に戻る旅

「自分と向き合う」


人間という種は、「自分とは何か」「自分とはどんな人間か」ということを知りたい生き物なのだと思う。

人生で起こるすべてのドラマは、自分を深く知るために”起こされている”と言ってもいいのではないか。
そう思うことがある。

自分以外の他人がいるのも、自分を知るため。
人生で苦難が訪れるのも、自分を知るため。
生まれてから死ぬのも、自分を知るため。

「この自分」

人差し指を鼻の頭に指し示すことで言っていることの「それ」

「それ」とは一体何なのか。

「自分」だと思っている「それ」は、一体、どういう存在なのか。

それを知るために、人間として存在し、その中でも性別や時代や国や、その個体が持っている特性を選んで生まれてくる。

その目的はすべて「自分を知るため」

だとしたら、自分が持っているコンプレックスも、自分を深く知るために「あえて」持つようになったものだと言えるのではないかと思う。

生まれたときは、どんな赤ちゃんだって、コンプレックスを持ち合わせてはいない。

コンプレックスを持つに至る「他者と比較する判断基準」がまだ形成されていないからである。

「これ」は「これ」であり、「それ」は「それ」でしかない。

そこに何の意味付けもされていない状態。

そこから成長していくに連れて、実に様々な価値観を植え付けられていく。

「あれは良くて、これはダメ」といったように。

そうして、自分の中に「優劣」といった判断基準が形成されていき、それを元にして、他者と自分とを比べて、劣っていると感じているところにコンプレックスを抱くようになる。

しかしそれは「幻想」である。

その判断基準は、この地球上に存在する人類全員に共通したものではないからである。

「あれは良くて、これはダメ」という判断基準は、人によって様々であり、ひとつとして同じものはない。

目の前にある事象の中に存在しているのではなくて、それを見ている人間の側にしか存在していないので、同じものを見ていても、感じ方がまるで違うのは、そういう仕組みがあるからだ。

だから本来は、「優れている」「劣っている」ということ自体が存在しないのだが、「あえて」その価値観をインストールすることによって、人は自分を深く知ろうとしている。

そんな気がするのである。

そして、その「劣っている」と思い込んでいた部分が、実は、その人に元々備わっていた特性であり、それを見る人にとっては魅力になる場合だってあるということを体験することで、自分を深く知る手がかりにしようとしているのではないかと思っている。

そういう意味では、コンプレックスは、忌み嫌うべきものではなくて、むしろ、自分という存在を知り、自分に対する愛を深めていくために、最も大切な部分と言えるのではないだろうか。

そういったコンプレックスと向き合い、自分と向き合わざるを得ない状況をつくって、自分のことを深く知っていく物語がここにある。

『コンプルックス』クノタチホさん

この物語には、東京浅草にある骨董好きの美容室に存在すると噂されている「ある鏡」によって、自分と向き合い、自分の魅力に気付き、自分をより深く知ることになる2人の女性が登場する。

その美容室の名前は「ナルシスの鏡」

「ナルシスの鏡」に置かれているその鏡には、以下のような不思議な力があるという。

1.「自分の容姿に心から絶望した人」がその鏡の前に座ると、鏡は鏡の中の世界にその人物の魂を吸い込んでしまう。

2.「鏡の中の世界」というのは理想の容姿を手に入れたもう1つの仮想現実である。しかしリアリティがあり過ぎて鏡の中の世界と現実の世界の区別はつかない。

3.現実世界での6時間は、鏡の中の世界での時間では66時間にあたる。もしも元の世界に戻りたい場合は、鏡の中の世界の時間で66時間以内に再び鏡の前に戻ってくる必要がある。

4.66日を過ぎてもなお、魂が鏡の中の世界に残る選択をした場合、元々の世界でその人物の存在は消滅する。抜け殻になった肉体も6時間後には鏡に回収されてしまう。そして元いた世界で関わった全ての人の記憶からもその人物に纏わる記憶は消えてしまう。もしもその人物に子供や孫などの子孫が存在する場合、同時にそれらの存在は全て鏡の中に飲み込まれ消滅してしまう。

そして、その鏡を”体験した”人たちは、ざっくりと2通りに分かれるらしい。

1つは、「絶望的な外見と決別して、理想の容姿を手に入れた世界に”やってきた”と話す人たち」

もう1つは、「理想の容姿を手に入れてみたけれど結局66日以内に元の世界に”戻ってきた”と話す人たち」

つまり、鏡の世界にとどまるのか、それとも、元の世界に戻ってくるのかのどちらかになるということである。

しかし、これが、この鏡の不思議な力の所以たるものだと思うのだが、どちらにも共通しているのが、「容姿が見違えるように変化している」ということなのだ。

理想の容姿を手に入れた人が見違えるように変化しているのはわかる。
しかし、戻ってきた人も同じように、見違えるというのはどういうことか。
それはぜひ、この物語に触れていただきたいと思うのだが、答えを言ってしまうと、「自分と向き合い、自分の魅力に気付き、自分をより深く知ったから」だと言えるのではないかと思う。

まず、1人目の主人公である祐子は、婚約者にいるにもかかわらず、自分の容姿に自信が持てずに、すべてを偏ったものの見方で捉えてしまう。

そして、美容室「ナルシスの鏡」にある鏡の存在を知り、鏡の中の世界を体験することになるのだが、そこに待ち受けていた世界は、当初予想していたものとは、全く違う世界だった。

理想の容姿を手に入れ、欲しいものはすべてが手に入ると思っていた祐子は、たしかに手に入ったかのように思うのだが、鏡の中の世界を体験するに連れて、元いた世界と何ら変わらないことに気付いていく。

自分で自分のことを「ブス」だと思っていた元の世界と、理想とする容姿を手に入れた鏡の中の世界と、2つの世界を体験することで、自分と向き合い、自分の本当の魅力に気付き、そして、自分を深く知っていくことになるのだ。

そこで気付くのである。

「すでに私にはあったんだ」と。

そして、元いた世界に戻った祐子は……。

僕はそこでつい、感極まって涙してしました。

「どうしても元の私の姿でもう一度会いたい人が向こうの世界には、いるから」
そう言って戻った世界で、再会を果たす祐子。

その真っ直ぐで素直な”コンプレックスを持つ前の状態の世界に戻った”祐子の姿に、僕は感動して涙してしまったのです。

この物語って、男でも泣けるね。

もうすでに、ネタバレになってしまっているとは思うのだが、これ以上書いてしまうわけにはいかないので、この感動は、ぜひともこの本に触れて体験してみてもらいたいと思う。

もう1人の主人公である有野愛菜は、心理カウンセラーという設定で、彼女も「自己受容」と言いながらも、自身の外見のコンプレックスに悩まされてきた女性の1人である。

本当は、外見のコンプレックスを克服しているように振る舞ってはいたけれど、実は、その自分を受け入れられないでいたのだ。

その自分を、ある本を出版するという企画で出演した動画にて、その姿を暴かれてしまう。

そこから、「ナルシスの鏡」のチカラを借りて、鏡の世界を体験することになるのだが……。

そこで、心から求めていた体験をすることで、癒やされ、自分の魅力に気付いていくのである。

その後の展開が、僕にとっては「そうくるか!」といった内容で、驚きと共に物語を楽しむことができたのだが、再び感極まるシーンが……。

「何回、泣かすんだよ!」と思いながら、有野愛菜の自己開示していく姿に、僕は感動してしまうのです。

それは、このセリフに集約されているように僕は感じました。

「コンプレックスに対しての乗り越え方って色んな心理学者が色んな角度で解決策を述べてると思うんだけど、私は結局コンプレックスって1人じゃ絶対に乗り越えられないからコンプレックスだと思ったのよ」

そう。コンプレックスとは、「大切な誰かとの絆を深めてくれる宝の可能性がある」ということなのだ。

そしてそれは、現実の世界にいる誰かとの絆でもあるし、何よりも「自分」との深い絆にもつながっていくと思うのである。

自分からは見えないけれど、他人からは見える「コンプレックス」という名の魅力。それに気付くためには、誰かの存在は必要不可欠なのだ。

だからこそ、コンプレックスは「大切な誰かとの絆を深めてくれる宝」であり、1人で乗り越えようとしてはいけないのである。

その宝に気づいたときに、より深く自分を知って、ありのままの姿に戻っていくのではないだろうか。

「優劣」という概念を持つ前に自分に。

その他、この本には、人間の心理に関する深い洞察があるからこその視点が数多く登場する。

中でも、
「見た目が良い人への偏見や優越感」
「内面重視に偏った美意識」
「1人で解決できるという思い上がり」

の部分である。

これについては、ぜひこの本に触れて、その真髄を感じ取っていただきたいと思う。

正直なところ、僕はまさに、ここにはまっていたように思う。

自分の能力の低さを棚に上げて、人がうまくいっているのを「見た目の良さ」にあると結論付けし、「それよりも中身で勝負」といった偏った美学を持ち、現状を自分一人の力で打破しようと悪戦苦闘している自分に酔いしれる。

この物語は、「ルッキズム」をテーマにしたものではあるが、その他の人間の心理にも共通している、心の仕組みが説かれたものであると言えるので、女性に限らず、男性にもぜひ読んでもらいたい1冊です。

特に、この物語に登場する男性たちの想いが、主人公である祐子や愛菜に伝わる瞬間などは、感動なくしては読めないと思います。

これはぜひとも映画化を!

ここまで、「ルッキズム」をテーマにしたもので、深い心理の洞察までも盛り込みつつ、純粋に物語としても楽しめるのを、僕はこれまでに読んだことはありません。

全コンプレックスに悩む人たちに、自信を持って、この物語をおすすめします。

この本で、自身のコンプレックスを向き合い、自分の魅力に気付き、深く自分を知るきっかけにしてみてはいかがでしょうか?

何者でもない物書き 上田光俊




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