私を許せるようになるまで
振り返ってみると、ずっと仕事のことばかり考えて生きてきたように思う。
特にこれといった趣味や興味が持てることがなかったこともあるけれど、ある意味、生きていく中でつらくて苦しいことから少しでも逃れられるように、半ば強制的に自分には仕事だけと思い込むようにして、なんとかやってこられたと思う・・ある時までは。
仕事自体はいつも面白いと感じていたし、結果もまずまず出せていたから、多忙な中でもそれを苦痛と感じることはなかった。
私に向いていると思ってずっと続けてこられていた。
そのうちに、気がつくと下に人がついてやることが多くなってきていた。
メンバーを抱えてプロジェクトをこなしていく中で、大きな失敗はあまりしていなかったけれど、周りの人たちに対しての接し方や対応がまずくて、次第に上司や配下のメンバーとの人間関係がギクシャクするようになっていった。
そんな状況を改善するために、リーダーシップやマネジメントなんかを体系的に学びはじめ、ある時、致命的な問題が私の中にあることに気がついた。
人に対しての思いやりや優しさが足りないこと。余裕を持って人に接してあげられないこと。
自分には厳しい方だったと思うけれど、その反面、人にも少し厳しすぎたと思う。
それほど難しいことでもなく、自分ができていることなんだから、他の人ができないなんてことはないといつも思っていた。
多分その考え方がいけなかったと思う。
いろんな人がいて、得意・不得意があって、その人その人にあわせて対処してあげられるような優しさが足りなかったことが度々あった。そのせいで人が離れていくことが何度かあったから。
それらの原因を辿っていくと「自分が一番ダメなやつ」という大きな劣等感が根底にあるように思えた。
言い換えると、自己肯定できていない自分。
ある本に、人の上に立つ人には自己肯定感を高めることが必要と書いてあったことから、やっとそれに気づいた。
そして、自己肯定感が低いのは、ずっと逃げてきたあのことのせい・・と。
でも、それからちゃんと自分に向き合っていたかというと、全くそうではなかった。
忘れたいから、ずっとずっと目を背けてきたことだったから、向き合うことはそれはそれでこれまでの自分を否定することでもあるし、何より無意味なことに思えた。
その時からさらに仕事に没頭するようになった。
人に対しての優しさや思いやりをできるだけ持つように努めてきた。
気がついたら、ものすごく利他的で自分を卑下する人間になってしまっていた。
自分というものがなにもかも無くなってしまっていた。
そんな自分のすべてが許せなくなって、辛くなって、私はなんでこんななんだろう・・と思って、あれこれ調べているうちに、性同一性障害という言葉に辿りついた。
その言葉を知らなかったわけではないし、その言葉が世間に認知し始めてからは、なんとなく私もこれかも・・と思ったことはあったけれど、自分がそれに該当するという確信が持てなかったから、私はこれではないと結論づけていた。
その頃から、また夜な夜な女装して外出するようになった。
どんどんのめり込むようになっていって、極端なダイエットをして20キロ痩せた。ホルモンも始めた。脱毛もして、髪も伸ばし始めた。
なにか自分を少しづつ取り戻していっているような気がしていた。同時に、どんどん自分がおぞましく感じるようにもなっていった。
長い年月が経ち、クリニックに通い始めてから性同一性障害についてあれこれ調べてみたら、こんなことが書いてあった。
・・身体的な性別が決定されたあと、次は脳の性分化が始まります。
身体的性分化を終え、形成された睾丸から分泌される男性ホルモンのシャワーを浴びた脳は、男性の脳へと決定されていき、その男性ホルモンシャワーを浴びなければ、女性の脳になるというわけです。
ここが、性同一性障害になり得る原因だと言われています。
身体的性分化により、体が男性へと決定されても、妊娠中のストレスなど何らかの原因で男性ホルモンが十分に分泌されず、脳がシャワーを浴びることが出来なければ、男性脳へときちんと性分化されない状態が生まれてしまうのです。
逆もしかり、体が女性へと決定されたあとに、何らかのホルモン異常や何かしらのちょっとした欠陥・ズレが生じることによって、男性の脳を持ってしまう場合があります。
この話があくまで一つの説でしかないことはよく知られている。だから本当に正しい話なのかどうかはわからない。
でも、私にとっては「自分のせいじゃないんだ」と思わせてくれるのに充分だった。
やっと自分のことをほんの少し許してあげられた気がした。
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