診断が下りるまで

クリニックに通い始めてそろそろ半年が過ぎようとしていた。

季節は秋に差し掛かっていて、夜になると少し肌寒さを感じるくらいになっていた。

六回目の診察のときに、次回からは別のクリニックにも並行して通うように言われた。
ガイドラインには「2人の精神科医が一致して性同一性障害と診断することで診断は確定する」とあったので、きっとそのことだろうと察しがついた。

少し離れたところにあるクリニックを紹介されて、紹介状をもらった。初回は自分史もあわせて持っていくように言われた。

七回目の診察と同じ日に紹介されたもう一方のクリニックへも行けるように、当日は午後いっぱいのお休みを取った。
そちらのクリニックも予約が必須だったので、仕事のスケジュールもある中で両方の時間が被らないように予約日を決めるのは少し大変だった。

お昼過ぎにいつものクリニックへ行って診察を受けた。この頃になると具体的な検査や問診はほとんどなく、近ごろの様子はどうかとか、変わったことはあったかとか、そんなことを聞かれるだけだった。

もう一方のクリニックへはバスで移動しなければならなかったが、ここ何年もバスに乗ったことがなく土地勘もなかったせいか、どのバスに乗ればよいかが分からず、20分くらい周辺をウロウロする羽目になってしまった。そうこうしているうちに予約の時間がせまってきたので、しょうがなくタクシーを捕まえてギリギリ間に合った。(ちゃんと下調べしておくべきだった・・次からはちゃんとバスで行けた)

こちらのクリニックは、通院している方と比べてだいぶ落ち着いた雰囲気のところだった。周辺の住環境や交通事情のせいか、外の騒音などもほとんど聞こえてこない。待合室は淡いパステルカラーの緑色の壁紙で、それより少し濃いめの緑色のソファーが幾つか置かれていた。私以外は誰もいなかったが、受付を済ませて呼ばれるのを待っているあいだに一人だけ別の患者さんが来院した。

「3番のお部屋へどうぞ」と私が呼ばれた。

こちらも机を挟んで向かい合って座るスタイルだった。ソファーもあった。このカテゴリーの病院はそういうもんか?・・と完全に私の中でのステレオタイプとして認識されてしまったようだ。

先生は五十台前半くらいに見えた。席をうながされて向かい合って座った。

紹介状は受付の方に渡してあったので、それが伝わっていたようで、GID診断で来たということは説明不要だった。いつもの先生の方から言われたとおり、まず自分史を手渡してからここに至るまでの経緯を話した。

自分史の方は後で見ておくとのことで、このあとの診断プロセスについて少し説明してもらえた。いつもの先生の方よりは丁寧で分かりやすい説明だったので、少し安心できた。

順当にいけば、あと三回それぞれのクリニックで診察を受けた後に診断が下りるということだった。
もしも性同一性障害の診断が出た場合、同意書にサインすれば、先生たちの方で意見書というものを作成して専門家会議で審議されて、承認されればホルモン療法を開始できるということだった。

まだ見えていない最初のトンネルの出口が、少し見えそうなところまで来ているように思えた。

その年はあと二回、両方のクリニックを行き来した。

十二月から翌年の一月にかけては、転職の準備なんかでバタバタしていて通院する時間がとれずにいた。

新しい年を迎えて最初の通院は二月に入ってからになった。ちょうど十回目の診察だった。

同意書は年内にサインして先生に提出していたので、あとは診断待ちの状態だったけれど、毎回たいした話もしないので、何で通い続けなければならないのかが不思議で仕方なかった。

これは診断が下りた後になんとなく気がついたことなのだけれど、ガイドラインやWikipediaなんかに書いてあったGID診断基準の一つに「反対の性別に対する強く持続的な同一感」というのがあり、これを慎重に判断するためにあえてわざと長期間かけて通院させられていたのかな?・・とそのように思えた。

ともかくその二月の診察のときに、次の専門家会議に意見書を出してもらって、そこで多分診断が下りるということを伝えられた。
その日に意見書を書いてもらい、その封筒をもう一方のクリニックの先生に渡すように言われた。

三月の通院のときに、診断が下りたから今日からホルモン開始できるよと言われた。
注射か錠剤が選べるようだったが、注射の方が肝臓への負担が少ないということだったので、ペラニンデポーというのを1アンプル打ってもらった。

看護師さんから7〜10日ごとにきてくださいとのことだった。
次回からは予約なしで来ていいということで、仕事のことなどスケジュール調整がしやすくなったので、それはすごく助かるなと思った。


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