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年齢とは・・・知識のカウンター

どんなことでもそうですが、極めると言うことは中々難しい。

逆に極めていくまでは、山は高いもののある程度の高さに至ると、逆にその先が見えてくる。

そんな気もします。

ある程度の高さに上る・・・・、世間から認められるという言い方が出来るかもしれません。

私も最近になって、やっと少しずつ世間から認められるようになってきたわけで。

こうした機会を見失うことなく、積極的に攻めていくといことも重要だと思っています。

知識というのはインプットだけでは勿体ないわけで、インプットだけだとどこまでも知っているつもり・・・で終わってしまいます。

昨年以降、色々な機会で発表する機会などがあったのですが、改めて思ったことは以下のようなこと。

人の意見に対して批判するのは簡単
自分の意見として体系を纏めるのは意外と難しい
自分では理解しているつもりでも、相手に理解して貰えるように伝えようとすると意外と難しい

○○は、悪い・・・とか、こんな意見はダメだ。
的な発言は意外と簡単なんです。
まず否定ありきでスタートすれば良いわけです。
その理由はと聞かれても、適当に反論するだけでなんとなく反論した気持ちになる訳です。

しかし、自分の意見を纏めようとすると意外と自分でも理解していなかったり、最初の問題提起と結論に矛盾が生じてきたり、混同が起こったりなんてことも・・・まあ、それは極端としても論理の柱がなくて色々な要因などを押し込んで、一番問題とすべきは何かと言うことがぼやけてしまう。

なんてこともあるように思えるわけですね。

私も、今年交通権学会での発表のために15分程度の要旨を纏めた記事とプレゼンテーション用の資料を作成したものの、私の力不足でいささか消化不良かつ、論旨不明の発表になってしまったことを深く反省しています。

どんなことでもそうであるが、間違いは仕方ないが、それをひきづらないことも大事だと改めて思うわけです。

大学にも行かなかった私ですが、60の声を聞く前後から色々なところで講演したり論文を書く機会を得たりして、自身がどんどん変わっていけることに心より感謝しています。

そして、改めて思うことは。

年齢というのは、老化のカウンターではなく、知識を積み上げてきたカウンターでありたいと思うわけです。これだけ自分は進化したんだよという・・・・もちろん、記憶力の低下とか老化というのは避けられないのかもしれないけれど、脳を使い続けることで、知識のカウンターは積み上がっていくと個人的には信じているのであるから。




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