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中庸について

中庸という言葉を聞かれたことがあるだろうか。

辞書を引いてみますと下記のように書かれています。

ちゅう‐よう【中庸】 の解説

1 かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。「中庸を得た意見」「中庸な(の)精神」

中庸というと時には中途半端な人と思われるかもしれませんが、中庸こそ生きてい行く上での指標と言えないでしょうか。
というか、本当の意味でバランスを取る、これこそが大事なんですね。
己のこと、他人のこと、上司との距離、部下との距離・・・いわゆる球体の中心にあると言うこと。

言わば静の極みというのかな。
そうした極限の状態に持って行くというのでしょうか。

人の芯というのは、真円から多少なりともぶれていると思うわけです、更にこれに時間軸を加えたものを仮に、真央(しんおう)と考えた場合、この真央に自身の心が到達出来れば、心は揺るがず、どこまで行っても心穏やかに過ごせると思うわけです。

いささか概念過ぎるお話しで恐縮ですが、中庸と言うことを考える上で、中庸という何事にもバランスがとれた状態は、言わば真円に自らの心が定まっている状態だと思うわけですね。

右からに意見も左からに意見も聞いてそれなりに、言い分が判る、言い分が判るからその反位もまた定義できる。

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そんな気がするんですね。

逆に、真円でない場合はどうなるか、当然自分の意見に近ければ親しみを感じ、その反面反対の意見であれば、それこそ反発を感じてしまうわけで、心が穏やかにならない。

そんな気がします。

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