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官僚について思うこと

官僚の劣化が止まらないとか・・・・実際に、官僚になろうという希望者が減っているのだとか。

その反面で、今回の内閣改造では、官邸主導から官僚主導に戻す人事を始めたとも書かれていた。

正直、官邸主導で官僚をコントロールすることは行政の安定を欠くこととなりあまり好ましいとは言えない。

私自身は、官僚ではないが郵政局という地方部局の担当者として官僚組織の末端(地方組織を官僚の末端と考えるか否かという見解も有ると思うが、地方分部局は本省の出先であることを考えればあながち間違いではないと思っている)を汚させていただいた一人として思うことは、若手官僚の給与が正直少なすぎると思う訳です。

私も郵政局に転用したのは30年以上前、郵便局時代と比べると職群も上がり多少給料も増えたとはいえ、その勤務時間の長さ(もちろん、非効率な仕事をしていた面もあるが、それ以上に過重な仕事量)と、それに見合う超勤が支払われないという理不尽があった。

連日3時間程度の超勤は当たり前、土曜日も出勤であったが誰も定時に帰るわけではなく、夕方までなんてことも・・・単純に超勤だけで行けば40時間近くになるのだが、超勤は殆ど付かない。せいぜい3時間程度

民間企業の方が厳しいと聞いていたけど、民間企業の方がさっさと帰ってしまって、後に残っているのは郵政局の職員だけなんてことは日常茶飯事、人事部や秘書課に至っては何時帰るんだろうと思うくらい遅くまで仕事していたし。

みんなそれが当たり前と思っていたものでした。

その背景には、本省のトップ官僚と比べればささやかな夢ではあるけれど、郵便局長まで上り詰めたいというゴールが有ったからだと思うわけです。

当時であれば40歳少し過ぎたくらいで、郵便局の課長で管理者として転出して現場を経験、その後順次呼び戻されて係長で帰ってくるわけですが、現場での成績が悪かったりしたらそのまま帰ってこれず、人工衛星なんて戯れ言を言ったものでした。

当然ながら、郵便局は当時は三事業一体でしたから、総務を含めて四課長はいるものの、局長になれるのはその4人の内1人だけ、いわゆる椅子取りゲー

まぁ、その辺は官僚も同じで、事務次官というたった一つのポストを目指してしのぎを削るわけです。

ただ、官僚の給料が特に若い頃は、IT系の企業などと比較しても圧倒的に安いというのはやはり問題だと思うし。

まして、人事までも官邸主導と言うことになれば、官僚としての魅力は殆どなくなってしまう。

官邸主導となれば、一時流行った"忖度"が発生して、官僚もひたすら保身に走って,時には官邸の意向に沿った人事を行うなどして,本当の意味で国を良くしていこうという人材は育たなくなると思うわけですね。

一番理想なのは、官邸ではなく、やはり官僚が国の基礎をじっくりと時間をかけて政策として練り上げる。

それを議会で揉んで、磨き上げていくというのが本来だと思うわけですが、官僚が時々の権力者(内閣)の意向を気にしながらして居ては、官僚もやる気をなくすだろうし、それは長い目で見れば国益を損ねているわけです。

別に難しい国家公務員試験を通過したものだけを優遇する必要はないわけで、地方分部局等の職員からも優秀なものは抜擢するなり、お試しというわけではないですが,異動させて業務に当たらせてみると言うことも大事だろうし、きちんと超勤は払って、その働きに応える事も重要だと思う、何よりも国のために働く、国をよくするために働く,本来に愛国心を植え付けた官僚を育てていくことが大事なのではないかと思ってしまう訳なんです。

ちょっとまとまりがなくなってしまいましたが・・・。

最後に纏めさせて貰えば、公務員と言われる人たち、もちろん高級官僚だけではなく、地方分部局の職員でも優秀な人は思いきって抜擢するなどの改革をしていくこと、官邸主導ではなく、官僚主導の再構築を図ること
これが、いまの日本に一番重要なことではないかと思ってしまうわけです。


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