思索することは、知的なゲームである
今日も思うことを思うままに書かせていただこうと思います。
10月から続いた夜勤も年内は終わりました、色々とあった1年ですが、自分を成長させることは出来たかなぁと改めて思っています。
時々自分の年齢を忘れてしまうことがあるのですが、というかあれもこれもチャレンジしたいと思っているので、年齢を考えている暇が無いとも言えそうで、・・・・もういくつだから的なことは殆ど口にしません。
ただ、周囲が、もう定年だからゆっくりするからと言われたりしたら、ああそうかそんな年だったんだなぁと思うわけです。
しかし、考えてみれば定年も学歴と一緒で、一つのマイルストーン【中間目標】でしかない訳ですから、それをあまり重く受け止める必要は無く、むしろそこから新しい事がチャレンジできるとわくわくする方が面白いのではないかと思うわけですね。
私自身は、今でも色々な環境にチャレンジしたいし、気がつけば10年以上になるIT系の仕事が一番水に合っていそうなのでそれを極めてみたいと思う反面、ライフワークでもある鉄道史研究を更に深度化したい。
特に、鉄道史研究を深度化したいのですが、そのための生活費であったり先立つものが必要になるので最低限の収入は確保したい、そうなるとある程度稼がなくてはならないという悪循環ですから、結果的にタイムスライスとでも言うのでしょうか、時間を如何に上手く活用するかと言うことを考えるようになる。
無駄な時間を極力減らしてとか考えるようになるわけです。
さらに、考える時間を圧縮するために、夜寝る前に風呂の中で思索するなんて事もありますが。
意外とそうした時間というのは、私にとっては至福の時間なんです。
考える、いわゆるthinkingと言うのは、誰の邪魔もしないし、邪魔をされない。更にだれも盗りに来ない、否窃取することが不可能なことなんですね。
自分の中に、ある訳ですから。
だからこそ、思索するわけです。
もちろん、思索だけで終わってしまっては勿体ないので、それをこうしてblog等で書いてみる。
書くことによって、初めて成果物として多くの人に見て貰える、そして、批判して貰えるわけですね。
SNS等を上手く活用される方も多いかと思うのですが、その辺は私はまだまだ苦手で、十分活用できていないところが有ります、むしろblogのような開いたネットワーの方が得手が良いみたいです。
拡散までには時間がかかるものの、広がって行けばそのまま何時までも拡散し続けてくれるように思えます。
これからも、思索することで得られる成果物をblogで発信する、それにより新たな知己を得て、それを元に更なる思索を深めていく。
多分年齢を忘れて、頭を鍛え続けたいと思う今日この頃なのです。
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