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ヘーゲル哲学から感じたことなどを自分の言葉でまとめてみた

今日も少しだけ思うことを思うままに書かせていただこうと思います。
実は、社会思想の歴史という本を読んでいるのですが、ヘーゲルの哲学について書いているところがあったのですが、非常に興味深く感じるところがありました。

ヘーゲル哲学では、カントでは二律相反する事象は矛盾として存在し得ないとするのに対し、ヘーゲル哲学では、そうした矛盾は相対することが出来るとしています。
それは、二律相反する事象の一つを定位(テーゼ)と対立するもしくは相反する反位(アンチテーゼ)はその双方が寄り添うこと、すなわちそこを出発点として新たな妥協点というか、新たな到達点に至ることで、二律相反する事象は矛盾しないで存立し得るとしています。そうしてできあがる新しい到達点は今度は新しい定位として、新たな反意が生まれてくる、これにより再びお互いにその共通点、もしくは妥協点を探っていくことで、人類は進化していけると言う考え方をしているわけで。
これを読んだとき、成る程、ジェネレーションギャップを埋めると一つの方法はこれである、もしくはジェネレーションギャップが生まれるというのはこういうことを指すのかと感じたんですね。
私たちが若い頃の常識というのは当然のことながら、我々が20代の頃の現在の自分の世代の一の常識から見れば反位にあるわけですから。
そして、社会という流れの中で、反意であった自分たちの意見は世の大人の定位を取り込みながらある一定の妥協点に達する、そうなると今度は、同じように、若い世代からみると、私たちの世代の考え方は反意に見えるわけですね。
文章で書くと自分自身は理解しているのですが、非常にわかりにくいかと思います。
最も、私の文章力が不足しているからなのですが。汗
簡単な図表を書いてみましたので、理解の一助にしていただければ幸いです。

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さらに、これを現在の政治の世界などに当てはめて考えてみても当てはまるのですが、本来与党と野党というのは基本的には対立せざるを得ないと思いますが、実は現在の野党がこれほど支持率が低迷する原因は、反位と定位で説明できるような気がします。
これまた難しい話題ですが、私なりに解釈した点でお話をさせていただこうと思います。

政府の政策を定位とします。
当然にそれに対して、反対論を述べる野党は反位ということになります。
当然のことながら、その反位というのは本来であれば、政策に対する反位でなければいけないわけですね。

10万円給付します、これを定位とすれば
10万円で本当に足りるのか、そうではなくて、本当にセーフティネットというのであれば、もう少し支払うべきではないのか、とか、消費税を下げるなど緊急措置を講ずるべきではないのか・・・という意見が本来の政治家における反位と言えます。

しかし実際はどうでしょうか・・・これ以上は言いませんが。

水際対策が必要だった2月頃、どこの政党とは言いませんが、「桜が・・・と言って、貴重な時間を使っていた。」

もしこの時期に、外国からの入国制限をかけましょうとか、中国からの帰国者には検査をとか、中国からの入国を禁止とか、そうした議論を真摯にして、定位と反位をぶつけて、新しい定位(新しい政策)を作っているべきだったのではないでしょうか。
しかし、政権与党を批判することが政治家の役目だと勘違いしているポピュリズムに流れる政治屋の皆さんは、ただひたすら、政権党を叩くだけ・・・これで。支持が伸びないとかいっても仕方がないでしょう。

政治家というのは高い学歴の大学などを出ているのですが、現状を見ていると本当に大丈夫なの?と思ってしまうわけです。

私なりに、考えてヘーゲル哲学から見た政治観、どう思われますでしょうか?

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