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悪という字について考える

時々人と話していると、俺も昔は悪事ばかり働いていたとか、頭が悪いんで・・・みたいな言い方をすることがあります。

そこで、「悪」という言葉はそんなマイナスのイメージばかりなのか?と思い調べてみたんですね。
悪と言う言葉、「亜と心」が組み合わされて出来た文字であることが判ります。

でも。「亜」という文字だけだと「悪い」と行ったマイナスのイメージではなく、むしろ、「次」のと言う意味合いに使われることが多い。

「亜熱帯」とか、「亜硫酸ガス」とか「亜硝酸」なんて言う言葉も見かけますよね。

また、子供の名前などにもよく使われるわけで、「亜紀子」とか「亜矢」と言った名前などが代表的でしょうか。

元々の意味合いから言うと、「亜」の語源は、古代のお墓を上から見たときのイメージだそうで、そこから、「外から見えないもの」と言った意味合いが起こされたように見受けられます。

結果的には、目立たないけれど重要なポジションという意味合いを持っていたかと思うのですが、亜と言う意味合いで、「みにくい」という意味も持たされているとも書かれています。
ここでの「みにくい」は私の独自の解釈では、「表に出てこない」という意味合いで「見難い」から派生して、下記のような「みにくい」という言葉に繋がったのではないかと思うのです。

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また、そこから派生して、「心がみにくい」⇒「悪」という言葉が誕生したのかなぁ・・・等と勝手に妄想しています。

ここまでは勝手な解釈なので、言語学者の先生に叱られそうですが、人を鼓舞して、元気になっていただくのが目的ですので、敢えて「悪」という言葉から、「心」を分離して、自身の心に「亜心」と言い換えて考えるようにしてはどうでしょうか。

私は、次の人のために、心を寄せる。そんな風に考えていっても良いのではないかなと思うわけです。

例えば、「私は頭が悪い」と言って嘆く人が居たら「頭が悪い人はいない、あなたの中の心に才能が隠れているだけなんだ」と言ってあげたいのです。

悪いのではなく、心がまだ見えていないだけなんです。

だから自らの意思で、心を表に見えるように持ってくる、これが大事なんじゃないかと思ってしまうわけです。


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