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知ってるつもりについて考える

今日も思うままに思うことを書かせていただこうと思います。

朝から書こうとしても、書けないときは中々書けないものですね。
ちょっと凹んでいます。

書くときにこれといったテーマを決めているわけではなく、ふっと思い浮かんだ言葉を元に書き連ねているので、途中で自己矛盾が生じたり、ループしてまったりしてその都度書き直したり、どんどん難解になってしまって自分では勝手に理解しているつもり・・みたいな悪循環に陥ってしまうときがあります。

さて、そこで今日は改めて、知ってるつもりと言うことで考えてみたいと思います。

知ってるつもり・・・、何となく知っている。

そんなとき、知ってるつもりなどと安易に言ってしまいます。
特に、多少なりとも新しい知識を得るとなんかそれだけで、全て知ったような気持ちになってしまって。

僕はすごく知っているんだぜ・・・みたいな態度を取ってしまうことがあります。
しかし、実際にはそう言った場合、「知ってる」というのは、殆ど表面をなでただけなんですね。

表面をなでて、全体像をつかんだとか、本質を知ったとか・・・そんな風に思っているわけですね。
逆に言えば、そんな風に概略を知っただけで、思考を停止させてしまうから、表面的な情報だけで流されてしまう人がどれほど多いことでしょうか。

まして、現在はネットで検索すれば良い、もしくは動画で配信されるからそれで良いという風潮があります。
学校に行かなくても、ネットがあれば生活できる・・・みたいな勘違いする人も居たりしますが、物事を知っているつもりになっているだけではないかと思うんですね。

本質というのは本当に奥深くて、それこそ、何層もの重なり合った核(コア)があり、その核の中にもさらなる核がある、きっとその最終形態が「空」なんだろうなぁと何となく思うわけですが、これは般若心経の、「色即是空」からパクった私なりの仮説なんですけどね


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物事の核【コア】を探っていくと、最後は、「空」に行き当たるのかなぁと仮説をたててみた次第

逆に、こんな風に、少しでも物事の本質とは何かを追求するというのも、大事なのではないかと思うわけですね。
考えて考えて、大脳が汗をかく位の、頭を働かせてやるのが大事なのかと思っています。

そんな風に、それこそ頭が痛くなる・・・そんな経験を何度もしていくと、自ら色々な視点から、考えて、そして悩んだ末に、自分なりに答えが出せる、そんな気がするのですが。

皆様いかがでしょうか?

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