教えを乞うと言うこと
私たちは、色々な経験を積んで行く中で多くの知識を積み上げていきます。
ただ、多くの人が知識が増えていくとそれが自信となっていくのは良いのですが時に横柄に振る舞ったり、天狗になってしまう人が居たりします。
専門家を名乗る以上、知らないのは恥ずかしいから・・・・そう思って適当な理由を付けて誤魔化す人もいます。
逆に、そうした専門家でもすごいなぁと思う人は知らないことを知らないと明言してむしろ教えを乞う場合があります。
どちらの方が、自身の成長にプラスになるのでしょうか。
私自身、色々な講演会などにも機会があれば参加するのですが、大概一人や二人、マニアックな質問する人が居たりします。
それで、講師が答えられなかったりすると、「してやったり」という顔をする人がいるのですが、そうした人を見るたびに「痛い人だなぁ」と思ってしまうんです。
結局、自分の知識をひけらかすだけの・・・そんな人に思えて仕方ないんです。
また、そうした質問に対して適当に誤魔化して答えを返す講師なり先生もいるんですけど、そうしたのを見ていると、今度はその先生なり講師もこの程度なんだろうなぁと思ってしまう訳です。
世の中の全てを知っている・・・本当でしょうか。鉄道の趣味の世界でも時々そんな人を見かけます、「僕は鉄道に詳しいんだ」・・・
いえいえ、あなたの知っている鉄道は、その分野の一部だけですから。
鉄道等と言う漠然とした分野で言われても、鉄道というのは「車両」だけを指すのではありません。
鉄道車両を走らせるためには、軌道と呼ばれる線路や架線(電車の場合)といった話、信号システム(閉塞)といったお話などトータルで出来上がる総合産業です。
ですから、鉄道が詳しいと言いう人が居たら、思わず悪戯心を起こして「素晴らしいですね、是非とも私にも教えてください」と言ってしまうんです。笑
だって、私自身鉄道のことと言われても、歴史に関しては自分なりに多少は学ばせてもらっているけれど、その背景であるもろもろのことは判らない事ばかり。
歴史と言っても、表面的なことだけかもしれないわけです。
だから、どんどん学びたいと思うんです。
逆に、そう思うから、前垂れ式に自分の頭も下がってくるんです。
もっと教えてください・・・って。
でも、「自分が偉い」と思って偉そうにしていれば何時まで経っても相手は何かを伝えようとは思わないじゃないですか。
だって、偉そうにする人に教える必要なんてないですからね。
自分たちが知っているのは全体から見ればほんの一部。
だからこそ、もっともっと深く知るために人間をもう一回りも二回りも大きくさせるべきなのではないでしょうか。
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