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私たちが本当に大切にしないといけないこと

昔から、学校の成績が良いということは、頭が良いという尺度で図られるため、「自分ほど偉い」ものはないと勘違いする人が少なからず出てきます。

例えば、エリートと呼ばれる人ほどそんな傾向が強いようです。

エリートと呼ばれる人は、昔から学校の成績も良くて、周りがみんな自分より劣って見えるのでしょう。

この話は書かないでおこうか散々迷ったのですが、少しだけさせてください。

ある中学校に、気の弱い大人しい男の子がいたそうな。
小学生の頃から「いじめ」を受けていて、引きこもり直前のような男の子でした。
その子は決して勉強が嫌いではなかったのですが、いじめられるのでだんだんと勉強も嫌になってしまったのです。

そんな、男の子のクラスメートに、無茶苦茶勉強のできる男の子がいたんです。
その子は常に自分は勉強ができると自覚していて、テストの点に拘る…そのくせ人間関係は苦手でした。

ある日、とある男の子は、受けようと思ったのでしょう。
ふざけて黒板に「〇○の人権無視週間」と書いたんです。

気の弱いと思われていた男の子は、思い切り怒りました。
慌てて黒板消しでその落書きを消して、それでも怒りは収まらず、黒板消しを床に投げて・・・・。

これどう思いますか?正直ここまで書いて自分でも思い直したんです。
やっぱりやめようかなぁって・・・・でもね、こうしたことを平気で書ける感覚。ここには、相手を思う精神が欠けている、すなわち、人を人と見ていない。

こうしたことを平気で書ける人は「僕は誰よりも賢いから」という、そんな意識が潜在的にあると思うんですよ。

結構、自称頭が良い人ってこうした人多いんですね。

子供のころから「ちやほや」されて「自分は特別な人間」だと思ってしまうんです。
書いた人間は、さほど反省なんてしていませんよ。

だって、「自分は別格の人間」と思っているわけですから。
この時も、適当にこう言ったんですって。

「反省している。」

おい、心から反省しているわけないだろうと思いましたよ、本気で悪いと思ったら、こういうんじゃないかな。

「ごめん、本当にごめん、君を傷つけてしまって…本当にごめん。」

こんな風になると思うんですけどね。
結局、反省なんてしていませんよ、何となく雰囲気が悪くなったので「反省した」と言う言葉で逃げておこうと。

「僕はお前とは違うエリートなんだ」とね。

でも、黒板にそんなこと書かれた人はそれがどこまでも、「トラウマ」になるんです。
こんな事平気で書ける男の子は、その後灘校に進学して脳医学の先生になったとか噂に聞いたけど・・・その後どうしているんでしょうね。

まぁ、知りたいとも思いませんが。頭が良くても、人の機微を知ることが出来ない人は結局は寂しい人、そんな気がしますね。
ちなみに、「〇○の人権無視週間」→「加藤の人権無視週間」そう、私の人権無視週間って書かれたんです。

その時の後継は40年以上経つ今でもはっきり覚えていますけどね、形ばかりに「反省しています」と言われて。

本気で相手を殴り倒したかったけど、それは流石に憚られたので我慢しましたよ。

そう考えるとき、本当に大事なものは何か?

ちょっと思ってしまうんですね。

だって、人間の深みって、IQの高さだけで表現できないんじゃないかなと思うんです。皆さんは、どう思われますか

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